Jeffrey

スウィート ヒアアフターのJeffreyのレビュー・感想・評価

スウィート ヒアアフター(1997年製作の映画)
2.5
‪「スウィート ヒアアフター」‬

‪冒頭、雪の日。スクールバスは湖に沈んだ。小さな町は慟哭した。喪失感の日々は勢いよく僕らに現れた。1人の弁護士、運転手、車椅子の少女…本作はカナダの鬼才A. エゴヤンが97年にカンヌ映画祭にてグランプリを受賞した彼の代表作なのは周知の事実だが、いかんせん円盤は廃盤でセル専用発売でレンタルもされず(VHSの貸出は都内にならある)中々お目にかかれない作品で残念…だったが、2020年の4月になんとBDが発売されて、再鑑賞した。

既にエキゾチカを鑑賞していた僕は彼のフィルモグラフィを観て、本作に辿り着いた。そしてビデオを購入し初鑑賞したのは今から5、6年前だと思う。原作はバンクスの作品を脚色し、童話のハメルンの笛ふきをテーマにし撮った一作だ。

本作は冒頭に夜更けの日差しとともに壁が写し出される(民謡的な音楽が流れる)。そしてフローリングに布団をひいて白いシーツに裸体をかぶせ男女の姿と小さな子供の姿が写し出される。そしてカットは変わり、車を洗車する男性(弁護士のミッチェル)の姿を車内から捉える。そして1台の車から若い女性が降りて、街の公衆電話でその弁護士に電話をする。

そうすると彼女はパパと言うのでここで2人の関係性がわかる(父と娘のクロスカッティングが行われる)。そして2人は何かしら混み合ってる事情があるようだ。そしてカットが変わり、翌朝へ。とある空き地(背景には遊園地の観覧車などがある)でライブを開いている1人の少女の姿、それをにこやかに眺めている1人のロン毛の男性、彼女の名前はニコール(この作品の主人公である)。その男性とはどうやら〇〇の関係らしい。

続いて、まだ洗車をしている車内の中にいる弁護士のシーンへ変わる(洗車機の中に閉じ込められているそうで、電話で助けを求めている)。彼は無理矢理扉から出て、自宅へ帰宅する。カメラは彼の家の中へ。そして部屋の窓から外を覗くと歯医者寸前の黄色いスクールバスがそこに存在する。カットは変わり、先程の遊園地に到着したスクールバス。その中から運転手のドロレスが降りてきて、子供たちを案内する。

続いて、弁護士のミッチェルが事故について話を聞きに関係者に会いに来たそうだ(ここで物語が過去と現在を往復している事に観客は気づく)。彼は手帳を開き、色々とメモをし始める。関係者は様々な事柄を述べ始める。集団訴訟の弁護士と言うことがここで判明し、判事の印象を良くするための証言を得ようとしている。

続いて、カットは弁護士が飛行機の中にいる描写に変わる。そこではアリソン・オドネルと言うゾーイの友達のお母様が隣の座席に座っていて、話をかけられ色々と世間話をする。

そしてカメラは、冬景色の大自然を映し出す。画面いっぱいの真っ白な積もった雪、様々な民族の子供と両親、そこに派手な黄色のスクールバスが1台走行してくる。親は子供をバスに乗せ"行っておいで"と送る(ここでカットが変わり、バスの運転手ドロレスが回想するシーンへと変わる)。弁護士と運転手が当時の出来事を話す。

続いて、ドロレスの回想がもっと深くなり、現実描写から回想描写と交互になり、大自然が映りバスの中での描写や様々な事柄が写し出される…

ここから物語が往復のオンパレードで、いちいち説明するとかなり難くて、こんがらがってしまうので詳しい描写を説明するのはここまでにする。


さて、物語はある冬の日。子供らを乗せたバスが凍った道路から湖に転落。22人の犠牲者を出す。ある日、町に弁護士がやってくる。彼は子供を無くした親の怒りを煽り、集団訴訟を起こすよう策略する。1人生き残りの少女ニコールは事故により分裂し始めた町を立て直すべく、偽証をする。これにより穏やかなその後が描かれ始めていく…と簡単に説明するとこんな感じで、本作は現在と過去や人々の記憶と証言を行き来し、町巡るストーリーをパズルの様に当てはめてく。


隠された秘密が明るみになり、謎めいた関係が暴かれ、悲劇の他にあるものが徐々に浮き上がる…とミステリーともとれる人間ドラマで中でも中核になるハメルンの笛ふきを隠喩として使用してる。これはドイツの小さな町で130人の子供が消えた事件を物語にした作品だが、あまりにも有名で多分皆も知ってるはず。


だから尚更本作のイメージが広がり個人的には退屈ながらに楽しめた。にしてもバンクスの世界観を表せたのはエゴヤンだからだろう。役者も素晴らしく、若き日のS.ポーリーの鍵を握る役所と歌まで歌う彼女はI.ホルム共に素晴らしい芝居をしていた。親が子供を亡くす恐怖や何故失われたのか…を問う大切な作風である。

また劇中の中世的な音楽が素晴らしく、冬景色が神秘的で幻想的でもあり、風景ショットが記憶に残る。本作で長編7作目になり、変わらず独自の世界観を表す彼の傑作はやはり本作だろう。

勿論、フェリシア、アララトの聖母も素晴らしく好きなんだがね。かなり退屈だが…やはりノンリニア的な作風は彼のスタイルで好きだ。本作は3つの時間を複雑に絡ませ、進行する。‬ ‪にしてもポーリーってユマサーマンに似てるよね…映画見てビックリしちゃったよ…………。‬


この度、とゆうかこの作品VHSの画質でしか見たことがなかった為、DVDを飛ばしていきなりBDで見たんで、画質の向上がずば抜けていて驚く。やっぱりこういったカナダの大自然を舞台に撮影している作品の風景がVHSとまるで違う美しさに見えてしまうのは、致し方ないことだろう…。

さて、この小説(作品)がモデルとしているのが1989年にテキサス州オールトンで生じた事故との事。コカ=コーラのトラックがミッションスクールのバスに衝突し、幼児21人が溺死、49人が負傷した最悪の事故との事で、今でも語られ続けている史上最悪の事故である。

この作品は多くの子供をなくした家族の喪失感を浮き彫りにしているのもテーマの1つなのだが、この主人公である弁護士の男には1人娘がいて、彼女は後にHIVにかかったと言う連絡を父親である弁護士に伝える場面がある。

もしそれが事実ならこの主人公の弁護士もかけがえのない1人娘を既に亡くしているといっても過言ではない状況下にいるという事がわかるのだが、これは事実と異なるのだろうか?それともこの話も全て本当なのだろうか…。


まぁそういう話は置いといて、この作品監督自身の私的なメタファーが入っているように感じる。このような作品は基本的には十分に楽しめる作風なのだが、少しばかり難しく感じるのはきっとメタファーのせいだ。

余談だが、この作品の主人公の弁護士役にはやはりカナダ人俳優であるドナルド・サザーランドが予定されていたようだがなぜだか降板してしまい、英国人俳優のイアン・ホルムに決定したそうだ。
Jeffrey

Jeffrey