Jeffrey

アンダーグラウンドのJeffreyのレビュー・感想・評価

アンダーグラウンド(1995年製作の映画)
5.0
「アンダーグラウンド」

〜最初に一言、大傑作。クストリッツァが見事パルムドール賞を受賞した壮大なナチ占領下セルビアの地下に潜むレジスタたちのアンチ・モラルストーリーが描かれた荒唐無稽な笑いを観客に与える衝撃作だ。まさに本作は20世紀のダークサイドを捉えたカーニバル作品で世紀末の狂奏曲を体感する頗る傑作である。まさに永遠のバイブルだ〜

本作はエミール・クストリッツァの1995年に、フランス・ドイツ・ハンガリー・ユーゴスラビア・ブルガリア合作の歴史コメディドラマ映画で、監督はカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドール賞(2度目)受賞した傑作で、この度紀伊国屋書店から発売されたBDを再鑑賞したが傑作。この映画は20世紀最大の衝撃であり、世代を超えてすべての反逆児に贈る永遠の聖書(バイブル)だと勝手ながらに思っている。まさに鬼才と言う名にふさわしいクストリッツァの最高傑作であり、世紀末の狂騒曲を目前とするような映画である。祖国旧ユーゴスラビアの50年にわたる悲劇の歴史を、政治的で攻撃的な映像と音楽、スキャンダラスなストーリーで綴るケタ外れの映像叙事詩で、祖国を失った悲しみと怒りと裏切りの連続。それを越えて、彼は見る者を巻き込み、新しく生まれ変わるべく破壊的な作品を作り上げた。それも狂奏曲を奏でるかのように…。

個人的にはクストリッツァの映画を初めて見たのが、この「アンダーグラウンド」で、その後に「ジプシーのとき」「パパが出張中」「黒猫白猫」…その他と徐々に見ていったのだが、やはりこの作品が1番アナーキーでエネルギーに満ちていて無論、賛否両論、大騒動巻き起こす事は確かな作風だったが、その並外れた監督のユーモアあるイデオロギーに感服した次第だ。確か95年12月あたりにクストリッツァは、フランスのリベラシオン紙についに映画制作を止めると、ショッキングな宣言を言い放ったのは有名な話で、31歳にして「パパは、出張中!」でカンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを受賞して、35歳で「ジプシーのとき」でカンヌ映画祭最優秀監督賞、38歳で「アリゾナ・ドリーム」でベルリン国際銀熊賞に輝き、その才能を世界中が認めざるをえなくなったからだ。

「アンダーグラウンド」の人々は歴史に身を委ねている。その心地良い浮遊感に漂っていると、いつしか笑いが凍りつく、アンチ・モラルストーリー仕立てになっている。監督は、平和の祈りを込め、祖国に溢れる希望、そしてユーモアと生きる喜び、悪夢を自らの荒唐無稽な夢に織り込んでいると語っていた。愚かで、悲しい、人間の真実を笑い飛ばし、くるくる価値観の変わる21世紀にアンチ・テーゼを突きつけている。「アンダーグラウンド」はまさに20世紀のダーク・サイドを描く、レジスタンスたちの心を揺り動かす作品だった。この映画の面白みは、複数の言語とどこまでも続く広大な地下迷路、破壊的パワーを放つジプシー音楽にあると思う。ジプシーと言えばクストリッツァから切っても切り離すことのできない、いわば彼の作品の最大の主役にして最早代名詞といっても良いツールだ。

監督のカーニバルを支えるクリエイティブなスタッフが再集結したこの作品も、監督の名前を仮に伏せて作品を見たとしてもすぐにクストリッツァの作品だとわかるような映画で、巨匠アルメンドロスから大絶賛された撮影のフィラチの撮影は最高だったし、ブレゴヴィッチの音楽も体が勝手にリズムに反応してしまうかのような素晴らしさがあった。まさにクストリッツァ魔術を支えるスタッフたちはかなり重要だと思う。そうそう、「デリカテッセン」でセザール賞などを総なめにした美術を担当のミリェンもやはり監督のスタッフには欠かせない人物だろう。余談だが、かなり昔角川書店から「デリカテッセン」のブルーレイがデジタルリマスターで発売する予定だったのに、急に取りやめになってしまって未だに発売されていないのだが、あれは結局どうなったんだろう?さて前置きはこの辺にして、物語を説明していきたいと思う。

さて、物語は時は1941年、第二次大戦真っ只中。ドイツがセルビアの首都ベオグラードに最初の爆弾を投下したその頃、マルコはメキメキと頭角を現し始めた。彼は世情の混乱に漬け込み、愚直で血の気の多い友人ブラッキー通称クロを誘って、ロビン・フットさながらの義賊となる。2人は首尾よく武器と金の買収に乗り出す一方で、ナチスの護送車を襲うと言うゲリラ的活動も続けていた。2年もすると、2人は富ばかりか名声も手に入れる。共産党のために戦い、屈辱に甘んじる国家の安泰を担う英雄として。ナチ占領下にある国家は商才ある目利きにとって宝の山になるらしいが、マルコはこれを実証してみせた。父親の所有する地下室に避難民の一団をかくまうと、彼らの闇市で高値のつく商品や武器を製造するように指示したのだ。

マルコの弟イヴァンはシャイで吃りのある動物園の守衛だが、勤め先が攻撃を受けたため、動物たちを連れて地下室に逃げ込んでくる。その中にはソニと言う名の幼いチンパンジーも混じっていた。また、クロの妻ヴェラも地下室に避難していたが、息子のヨヴァンを出産した直後に息絶えてしまう。1943年、クロは一世一代の大仕事にとりかかった。劇場に押し入り、若くチャーミングな女優ナタリアを誘拐しようと言うのだ。ナタリアに恋い焦がれ彼女との結婚を夢見ていたクロだが、ナチスのボディーガード、フランツに捕まり、ひどい拷問にあう。その後マルコに助け出された彼も地下室に身を隠すことになった。クロの変わらぬ忠誠を勝ち得たマルコは正々堂々とナタリアを誘惑し、クロを裏切るのだった。

1944年、ドイツが仕掛けた爆撃戦も終わり、ベオグラードは廃墟と化した。平和が戻った今も、地下では相変わらずの日々が続いていた。マルコはまだ国がドイツの占領下にあると、クロを含む住人たちに信じ込ませる。そして、戦争が続いているという神話を崩さぬよう、尤もらしい効果音に乗せてドイツ軍の勝利を伝える情報を地下に長し続けた。ナタリアもマルコの芝居に協力し、15年の月日が流れていた。地下の住人たちは昼も夜もなく骨身を削って働き続け、戦車等の高性能の兵器を作り出していく。同じ頃、彼らの真上では、新生ユーゴスラビア共和国が軌道に乗り、新たな希望やチトー崇拝、自動車、電話の普及に沸き立ち、世の中は浮足立っていた。マルコは新政権を補担う重要人物の1人として、ナタリアは美しきファースト・レディとして脚光浴びる。

また、クロは勇敢な最期を遂げたことにされ、レジスタンスの元英雄に祭り上げられて行った。闇に守られた地下室も、1961年に崩壊の日を迎える。ヨヴァンエレナの結婚式の最中、酒に酔ったナタリアが自分とマルコとの関係やマルコの欺瞞をクロに漏らしてしまったのだ。彼はマルコに拳銃を手渡すと、マルコは自分の両足を撃って自殺の真似事をしてみせる。だが、戦車の中にいたソニにはその銃声に驚き、誤って砲弾を発射させてしまう。こうして地下室に大きな穴が開いた。地上に抜け出したクロとヨヴァンは、フランツとおぼしき男が率いるナチスの分隊を目撃する。あたりは投光器のライトに明るく照らし出されていた。まさに2人が目の前にしているのはクロの生涯を描く映画の撮影現場だったのだ。

この映画のテーマはマルコがでっち上げたクロの偉業と死のストーリーであった。しかし、そんなことを知る由もないクロは、フランツ役の俳優を撃ち殺した後、撮影隊に向かって銃を乱射し、大騒動を起こしてしまう。その頃、めちゃめちゃになった地下室を見下ろしながら、マルコは芝居に幕が下がったことを悟る。ナタリアは隠れ家と地下室を爆破し、アテネ、ベルリンなどヨーロッパの各都市を結ぶ迷路のようなトンネルに逃げ込んだ。一方、ヨヴァンは新妻の幻を追ううちにドナウ川へ…。それから30年後の1991年。イヴァンはベルリンの精神病院にいた。兄の裏切りと、母国を混乱させている新たなドラマを知ると、彼は再び地下に潜った。頻繁に行き交う国連平和軍の兵士から、祖国ユーゴスラビアが失われたことを聞き、ショックを受ける。

トンネルを抜け、一路祖国へ。そこは炎に焼き付くされた戦地で、クロがいた。すると、荒れ果てた村で、びっこを引いたマルコに出くわした。混乱に漬け込み武器を兵士に売り込む兄。抑えていた怒りを爆発させたイヴァンは兄を殴り倒してしまう。殺したと思い込んだ彼は、廃墟と化した教会で首をつって自殺する。しかし、マルコにとどめを刺してナタリアを殺したのは何も知らぬ1人の兵士だったのだ。まもなくクロは2人の黒焦げの亡骸を発見する。懐かしい顔が勢ぞろいしている。中には虫のすかなかったものもいたが、全てが過去となった今は恨みも消え、ただ歌があるだけだ。一向が飲んで踊っているうちに、この小さな半島は傷を受けた祖国から切り離れ、楽園の小島に姿を変えていく。

穏やかで寛大な水の流れに、その身をまかせながら。苦痛と悲しみと喜びなしには、子供たちにこう語りかけられない。むかし、あるところに国があったと…とがっつり説明するとこんな感じで、物語は1941年から44年の戦争の間と、1961年の冷戦、91年の戦争までを描いている。この作品今回で4回位見たことになるのだが、悲喜劇の中の社会風刺を見るたんびに、エルンスト・ルビッチの「生きるべきか死ぬべきか」に重ね合わせてしまうところがある。この映画は悲喜劇と先ほど言ったが、正直なところユーモアを交えた中に監督自身の怒りが見え隠れする。それを表に出さないように、歴史的事実や、いわゆる現実を超えた時間と空間の中にうまく忍ばせている感じがする。だが、クストリッツァの祖国ボスニアへの想いは非常に伝わる。

正直この年のカンヌ国際映画祭に出品された作品の中で、「アンダーグラウンド」はもちろんのこと、アンゲロプロス監督の「ユリシーズの瞳」もかなり好きだったので、同時受賞とかしてくれればなおさら嬉しかったが、他にも「リスボン物語」「キャリントン」などやはり90年代始まった頃の映画祭に出品された作品は今出品されている作品群とは違って、どれも頷けるほどの名画が揃っているなと改めて思った。ここ最近の3大映画祭の傾向がブットんでる映画が受賞しやすくなっているような気がしなくもない。去年のパルムドール賞は「チタン」と言う怪奇な映画だったし…。さてここからはこの物語の印象的だったところをいくつか話したいと思う。まずオープニングのトランペットなどの音楽隊(ブラスバンド)とともに馬車に乗って札束を投げまくるファースト・シーンから引き込まれる。


そして動物園のシーンで、実録(資料映像)を交えて動物園に空爆をする軍用機と、動物の死体を映しながら壮大なBGMを流して絶望えとを演じる場面の金の掛け方が半端ない。虎がアヒルを喰う途端にカットが変わるが、あれはどうなったのやら…。水中でのカップルのキス、白いドレスで浮遊する晩餐の間の女性、チンパンジーがミサイルを発射、自らの足を拳銃で撃つ男、クライマックスのこの物語には終わりは無いと言う宣言、この映画は3時間ちかくもあるが、一切退屈せずに見入ってしまうほどの凄みがあった。ラストの半島になるオチなどとにかくエネルギーがすごかった。この映画見たら他の映画を見ようとはなかなか思えず、すごく疲れて(いい意味で)もう満足したってなってしまう。

クストリッツァは兼ねてからルノワールとフェリーニが大好きと言っており、ヴィスコンティ、ブニュエルも自分の映画にはかなりの影響与えているとしていたが、シャガールの絵画を見るかのごとく思わせる雰囲気もあるが、実際に彼はシャガールも愛していると言うではないか。「アンダーグラウンド」はエーリッヒ・フォンシュトロハイムの「愚かなる妻」「グリード」を忍ばせて、同時にヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」が重なってくると映画評論家の淀川氏が言っていたことを思い出す。この作品の画期的なところは、地下の反世界が次第に現実になっていくことだ。逆に地上(外の世界)が非現実的に変わりつつあり、そこに逆転の方式が見てとれる。地下と言うのはシェルター代わりにもなるため、安全でもあるし、タイムカプセルの役もなし得るだろう。

そこに新たな文化としきたりと伝統と儀式、古き良き時代を維持する全てが携わっている。なんといったって花嫁が登場して結婚式まで上げてしまうのだから(花嫁が宙に浮く場面は最高だと思う)これはまるでガルシア・マルケスを体験するかのごとくの作風でもある。、特にこの映画に関しては、ル・モンド紙の第ー面で詐欺師と罵倒されていた監督がいたが、アナーキー的なクストリッツァがセルビア側支持であると思われたようだ。いかなる理由があろうとも、ボスニアか、セルビアかもしくはクロアチアか…と論じる人たちもいるだろう。単純なイデオロギー主義の人物たちに振り回されたら監督も苦労する。とにもかくにも旧ユーゴスラビア50年の激動の歴史を、人々はどう生きてきたのか?と言うものがこの作品には入っている。

それは卑猥かつ喧騒の流れに沿って悲喜劇調になっていて、従来のボスニア戦争作品とはー線を博していた。結局のところを「アンダーグラウンド」は地下から地上へと出て見ても、平和などどこにも無いと言うようなクライマックス(ネタバレになるため多くは語らないが)、だからあの地割れのようになって、地政学的にも地理的にも離れ小島になるような演出は、まさに監督の思いが伝わるシーンでもあった。そもそも地下をテーマにした作品で有名なのはポーランド派の先駆けとされるアンジェイ・ワイダ監督の抵抗三部作の第一作「地下水道」を思い浮かべるが、主人公が逆さにされているキリスト像にしがみついているシークエンスがあるが、あれはアンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」(←ちなみにこの作品は彼の傑作)を思わせる演出だったのだろうか…少しばかり気になるものだ。

気になると言えば、映画のクライマックス付近で廃墟の聖堂で首をつる男がいるのだが、その際に1羽の白い鳥が飛び立つワンカットがあるが、あれは何かしらの意味があったのだろうか?かなり重要なポイントだと思ってしまうがまだ答えが見出せていない。あれは監督の心の中のイメージ、いわゆる天使のように宙に浮いている登場人物(花嫁の事)などと重なってしまう。浮遊の憧れと重力との戦いが描かれているのだろうか、それから水中の遊泳イメージも気になるところだ。空中と水中が地上と地下のように通じ合っているのかを見せたいのか、常に国境が障害として立ちはだからずにはいないと伝えたいのか…。でも水中シークエンスはやはりジャン・ヴィゴ監督のア「タラント号」の引用なんだと思う。特典映像のインタビューだったか、何かの書籍だったか忘れたが、彼はヴィゴを尊敬している監督の1人と言っていたから。

本作は主に主人公と言える主人公がいなくて、誰が語り口なのかがよくわからないから、個人的にはチンパンジー目線で描かれた作品と勝手に思っている。「アリゾナ・ドリーム」だったらジョニー・デップが主演というのが一目瞭然でわかるし、「パパは出張中!」は家族が主人公とわかる。「黒猫・白猫」もあの親子が主人公とわかる。この作品も主なキャストはいるものの、重要人物が死んでしまったり(主要キャラ)するので、よく分かんなくなってしまう。まぁとにもかくにも荒唐無稽なこの映画の中にいちど入り込んでしまったらそんなものはどうでもよくなってしまうのかもしれない。ここからは少しばかりミュージックに関して話したいが、やはり冒頭のシーンからブラスバンドが圧倒的な存在感を見せていて、それは終盤でも同じだった。スラブ民謡からロックにジャズ、テクノ、レゲエやラテンまでを豪快に飲み込んで一気に駆けぬけるロマ(ジプシー)風ブラス・サウンドは最高である。

パンキーかつユーモラスなセンスに魅了されてしまう。とにかくメランコリックな音楽が好きな人にはたまらないと思う。この映画を見たのは今から10年以上も前だが、あまりにサウンド・トラックが良かったため、マーキュリー・ミュージック・エンタテインメントから発売されていたCDを買ったものだ。重層的なサウンドがたまらなくユーゴスラビアと言う国の叙事詩的な部分、音楽の圧倒的美しさと雄弁さとプリミティブな力強さが、細胞一つ一つで感じてしまうため、虜になった。監督ももちろんすごいのだが、音楽を手がけたゴラン・ブレゴヴィッチのバルカン・ミュージックも圧倒的だった。とにかく刺激的な音楽で、いちど聴いたら脳裏に焼き付いてしまうよな音楽であった。

この映画は第1章から第3章で構成されている。まず第一次大戦後に建国された第1のユーゴは、ハプスブルク帝国支配下の南スラブ地域、スロベニア、ダルマチア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナとオスマン帝国からの独立を達成していたセルビア、モンテネグロ両国からなっていた。旧セルビア王国を中心の集権体制に対して、連邦制を主張するクロアチア人の反発が当初から強かったのだろう。第二世界大戦が始まるとナチス・ドイツはバルカンへの進出を強めていた。ギリシャを除くユーゴの近隣諸国が日独伊3国同盟に加わった。ユーゴ政府も41年3月に三国同盟に参加していたはずだ。しかし、ユーゴではこれに反対する新英的な軍人を中心とするクーデターが生じて成功を収めた。これに激怒したヒトラーは、翌4月にユーゴ攻撃を開始して、ユーゴを占領、分割した。この映画で描かれているベオグラードへの空爆はこの時期の事なんだと思われる。

その他にもいろいろあるが、紆余曲折入り込み、第二章冷戦の時代背景と突入する。戦後、社会主義体制からの第二のユーゴに置いて連邦制が敷かれ、多民族国家との認識が確立されていき、第二のユーゴは48年ソ連と対立し、ソ連圏から追放されてしまう事は有名な話だ。この結果、東西どちらの人会にも属さない独自の社会主義体制が生み出されていく。本作の地下室が崩壊していく61年は、自主管理と非同盟政策を2本柱とする第二のユーゴが国際社会でも一定の評価を得て、本格的にその動きを進めていく時期であったそうだ。チトーを大統領とする独自の社会主義国家(第二のユーゴ)は、大いなる発展が期待されていたに違いない。残念ながら戦後の国際的な緊張関係が緩む中で、乗り越えられたはずの民族対立が吹き出てくる始末になるが…。

まぁ結局80年にチトーが死去してしまって、そこから92年の旧ユーゴは73年間の幕を閉じて、クロアチア内戦とボスニア内戦が展開されていき、この激動の90年代には数多くのボスニア戦争物の作品が3大映画祭に出品されていった。そして第3章内戦の時代背景と突入する。この第3章の内戦は1991年の話なため、私が生まれた年のことになる。91年6月は、スロベニアとクロアチアの独立が宣言される、クロアチアでは国内のセルビア人勢力(約60万人だったと思われる)の行動が激しさをました。9月には連邦軍がセルビア人勢力保護の名目で介入して内戦が本格化した。内戦は12月まで持続したが、国連の仲介により休戦が成立し92年1月にはECがクロアチアの独立を承認していた。2月には国連保護軍が派遣されかろうじて平和が保たれるが、セルビア人勢力はウクライナ・セルビア共和国を創設して、クロアチアの3分の1の領域を支配続けていたと記憶している。

今プーチン政権がウクライナの首都キエフに侵攻したと言うニュースがワンサカやっている中、この「アンダーグラウンド」と言う作品を再度鑑賞しようと思ったきっかけも、この21世紀に起こってしまった戦争がきっかけだった。ボスニア内戦とも連動するこのクロアチア内戦に対して、94年末から米露、国連、EUが中心となり平和に向けての交渉が続けられていたが、米国の支援を受けたクロアチア政府軍は武力制圧に着手し、95年5月には西スロベニアを、8月にはウクライナを制圧した。11月には、唯一残っていたセルビア人支配地域の東スロベニアがクロアチア政府の管轄下に入ることで、セルビア人勢力代表とクロアチア政府との合意が成立した。ところがこの問題の最終的解決までには、かなり時間がかかっていた。

大変なことかもしれないが、この作品をより楽しむためには地政学的な歴史書なども熟読した方が良いのかもしれない。自分もこの戦争についての書籍を結構読んで「アンダーグラウンド」をより楽しめるようになった。例えばどことどこの国が独立を91年に成し遂げたのかなど、この映画をただ単に見るだけではわからない。スロヴェニア共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ共和国、クロアチア共和国、マケドニア共和国の4つが独立をしている。そういや、クストリッツァの前作らを見ると、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都サラエボを舞台とすることが多かったが、今回セルビア共和国の首都ベオグラードが舞台になっているのがまず批判の的だったに違いない。長々とレビューしたが、本作をより楽しむためにはまずはヒストリー(歴史的背景)を知識として入れてから見ることをお勧めする。この映画は3時間ちかくあるためかなり自分のコンディションを良くしてから見ることもお勧めする。かなり疲れる映画だから(いい意味で)。
Jeffrey

Jeffrey