おっさん

ゆきゆきて、神軍のおっさんのレビュー・感想・評価

ゆきゆきて、神軍(1987年製作の映画)
3.7
ドキュメンタリーとしてこれ以上無い位の逸材・
反社会的活動家「奥崎謙三」が所属していた部隊で行われた事件を解明する映画。

同じ部隊に所属していた兵士が終戦していたにも関わらず軍規に則って引き上げ前に処刑された。と言う事件から始まり、処刑に関わった人間、遺族を一人一人尋ねて段々と事件の真相が分かっていくと言う構成になっている。

正義という棍棒に酔い、振りまわして他人を傷つけながら暴走して、最終的に拳銃を持ち、当時の上官の家に押し入り庇った息子に重傷を負わせ映画は終わる。




この映画は急に事実が判明する様な構成ではなく、本当にだんだんと全体像が解明されて来ると言う構成になっているのが本当に上手い。

通常のドキュメンタリーは、ある個人・場所・過去にあった問題等に絞って外枠から段々埋めていって一つの平らな島の様に作られ、最後に俯瞰で全体像を示す物になる。

しかし本作は起きている事件をリアルタイムで追いかけ、像が積み重なって一つの山の様な様相を呈しているので、物語を見ている感覚に近い。
ドキュメンタリーとは言えやはり大枠の演出意図があり、かなりビンビンに感じる。しかし、ここまで面白いドキュメンタリーは中々拝めるものでは無い。



まず奥崎謙三という人物は、「かなりのサイコパスな犯罪者」であり、「余りに多くの自己矛盾を抱えているのにも関わらず、他人のそう言う矛盾を許せず攻撃する異常者」である。

 自身は国家と言う物を壊すべきだと主張しているにも関わらず、国家のシステムに頼りすぎている。
・人を殴っておいて、私が責任を取ると言うが結局それも刑務所に入ると言う非常に短絡的で国家に頼りきった贖罪であると言う点。
・殴って置いて処置は救急車を呼ぶ。


人は言いたく無い秘密を嘘で固めて口外しない様にする。コレを他人に対して批判し暴力まで振るうのに、被害者遺族を偽装し連れて行く。

戦争批判の様な主張であるのに「私はいい結果の出る暴力であれば私は良いと思っており、今後私は大いに暴力をふるっていきたいと思います」と言う発言。


戦争は想像を絶する様な体験である事は言うに及ばないが、従軍した多くの人間の抱える闇を解き明かし教訓にしようという姿勢は理解出来る。

しかし自身は先に引き揚げその後にあった事件に上から目線で突っ込んでいき、本当に人の入ってはいけない領域の心の闇を妥協の無い正義で断罪する。
当時現場で起きていた事件の経緯を一切想像せずに上に対してブーたれ、死傷させようとする。

等、様々な面でかなりハイレベルな「自分は置いといて」を出来る中々のサイコパスっぷりはかなりの見ものです。正義に酔いすぎて何も見えていない。


そう言った人物で無いとここまで物語を牽引出来ない。
普通の感覚であれば「ある事実」が浮かび上がった時点で、それ以上進めても全員が傷つくだけだと歩みを止めてしまうものだが、奥崎謙三は進んでいける人間だ。
人の心の奥を本当に無理矢理こじ開け、情報を集める能力、ドキュメンタリーとしてこれ以上無い位の逸材である事は本当に間違いない。

彼のおかげで集められた情報が集積され、視聴者の中で段々と点が繋がって事件の粗筋が見えて来る。劇中で正確な答えを明示しているわけでは無いが、あまりに凄惨で行き詰まった事実は想像するのは難しくない。



戦争は国家主導で行われる命の奪い合いが含まれる暴力行為で、残酷ではあるが国民一人一人がその当事者なのだ。

奥崎謙三もその一人である筈なのに、その点にちゃんと向き合っている様な行動をとっている様でとっていない。劇中に出て来る他の元36連隊の方々と同じで過去の罪から目を背けている。

奥崎謙三は終戦後の行き場の無い怒り、責任を自身の外に求めてぶつける事で自身の罪を誤魔化そうとしている。

そうでもしないと、とても生きていけない。戦争と言う過去は一人の人間が抱えるには、あまりにも大きすぎる。

やはり彼も戦争によって人格を壊され、マスメディアによって踊らされた被害者の一人なのだ。
おっさん

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