信者と話もせずに、「出て行け」繰り返す住民。
小さな子供をデモ行進に参加させる住民。
いい大人が4,5人集まり、たった一人の信者に対し延々と要領を得ない話をしている。
住民の言葉に耳を傾ける信者。
精神的に弱り、頼ってきた人を受け入れる信者。
質問に対し、目を見て的確に返答をする信者。
出所してきた上祐さんのニュースは見ていないという信者に、
「見てないんですか?刺されたんですよ」
と不謹慎な冗談をいう森監督。
談笑。
罪を憎んで、人を憎まず
そんな言葉が見ている間、ずっと頭に浮かんでいた。
この教団がしたことは許されるものでは決してない。
しかし、信者を憎むことがわたしにはどうしてもできない。
この事件が起こる数年前、家族がいわゆる新興宗教に入信してしまった。
生活が少しづつ侵食されていった。
朝、夜、ラジカセ聞こえる呪文のような気持ち悪い音。
増え続ける本。
増え続けるビデオ。
増える、喧嘩とお酒。
いつの間にか鎮座する、金の銅像。
有名人の守護霊と話せるその代表は、不倫し教団信者と再婚。
その人の言葉に耳を傾け、
辞めてという家族の言葉はまったく聞いてもらえなかった。
でも、信者となった家族にとっては、
その信仰が居場所で、助けで安らぎだったことは事実。
良くなろう。幸せにしよう。と必死でもがいた結果、それが宗教だった。
もしかしたら、信者になっていなかったらもっと悪くなっていたっかもしれなくて。
それは誰にもわからなくて。
小さな頃のわたしの、悲しみや怒りや諦めは、
今のわたしの中に居場所はなく昇華されていないけれど、
やっぱりわたしは、家族を、信者を恨むことができない。
と、ココまで書いたら、友達から「年下男子に正座で告白された」と報告をもらった。
大人になったわたしは、そんな幸せを「宗教」ではなく「友達」からもらう。