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座頭市牢破りのodyssのレビュー・感想・評価

座頭市牢破り(1967年製作の映画)
3.0
【三國連太郎の扱いに疑問が】

座頭市シリーズ第16作。

このシリーズでは唯一、山本薩夫監督の手になる作品です。また、勝新太郎が独立して勝プロダクションを立ち上げての第一作。

そのせいか、筋書きが少し屈折しており、人を斬ることのむなしさが強調されている嫌いがあります。

いちばん屈折しているのは、本シリーズ初登場の三國連太郎の扱いでしょう。最初は善玉の親分なのですが、後半では十手をお上から預かって悪玉に変身しています。ここが、本作品評価の分かれ目となるところ。

たしかに人間は複雑なもの、或いは変わるものという観点からすれば、善玉がいつも善玉のままである必要もないわけです。ただ、本作品を見ると、これによっていわば芸術的な複雑さが出ているとか、人間の二面性が巧みに表現されているという感じがしないのです。単に前半は善玉だったものが、なぜか後半では逆になっているというだけのこと。善玉が悪玉に変わった理由がよく分からない。権力機構の中に組み込まれていく中で個人が性格を変化させていく描写が皆無だからです。

また、三國は後半では病気持ちらしく、たえず咳をしています。これが彼の変化と何か関連があるのかと思って見ていたのですが、そういうわけでもなく、また咳が他の何かと関係するわけでもない。どうも、脚本が練れていない、という気がしました。

他方で、鈴木瑞穂が妙に悟りきった、そして百姓に農業技術を教える元さむらい役で出ています。このさむらいがいうならば「人を斬らない哲学」を作中で開陳するのですが、結局最後には座頭市の武力行使によって救われるのですから、いささか矛盾含みのまま作品が終わっている観がないとは言えません。

ほか、若い恋人同士が騒動に巻き込まれ悲しい結末を迎えるなど、全体がやや暗い色調で覆われています。善人が救われすぎるのも浅い印象につながるかも知れませんが、本作は救われない人たちが多い。単独の映画として見れば悪くないのかも知れませんが、シリーズ物の一作としての作りをやや逸脱しているように思われました。

なお、途中で勝新太郎の歌う「およしなさいよ ♪」という唄が入ります。これが次の第17作では冒頭に持ってこられることになるのです。
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