ケンヤム

あの夏、いちばん静かな海。のケンヤムのレビュー・感想・評価

5.0
この映画が紛れも無い純粋な北野映画でありうるのは「不在者」を描いた映画だからだと思う。

繰り返し「不在者を待つ人」を描き続けてきたのが北野映画だ。
ソナチネの主人公を待ち続ける女と取り残される勝村政信。
HANA-BIの子供を失った母親。
菊次郎の夏の母に捨てられた少年。
アウトレイジ最終章の大友を済州島の釣り場で待ち続ける子分。

あの夏は、不在という主題を極限まで突き詰めた映画になっている。
音のない世界で生きる彼らにとって、お互いの存在こそが現実だ。
お互いのお互いに対する純粋な想い。
サーフィンという同じ夢を見ることで二人の間に実現するのは、究極のコミュニケーションだ。

その日常を唐突に奪ってしまう残酷な映画監督が北野武だ。

不気味なまでにどんよりした空の下を、ひとりで歩く茂。そこに、貴子の姿はない。
寝坊でもしたのか?
砂浜に脱ぎ捨てられた茂の衣服。
そこに貴子がやってくる。
いつものように、服を畳むのではなく彼女は茂を探している。
彼女の目線の先には、海辺に打ち上げられたサーフボードが。

彼女の不在者を探す切ない瞳。
そして、不在者への弔い。
彼女をこれから待ち受けているのは、茂が不在者として存在する世界だ。
そのことの悲しさ、切なさ。
そして、茂の存在した時の美しい日常。

映画という芸術の特徴は、不在を表現できることにある。
人間は「死」というものが待ち受けている以上、不在者の存在を感じずにはいられない。
誰かがいなくなるというのは、人間の普遍的な苦しみだ。
だから北野武は、不在者を待つ人を描き続けるのだと思う。
生きることの悲しさから逃れられない北野武。
事務所を腹心の友に乗っ取られた北野武は、悲しそうな目をしながらいつも通り自分をギャグにして、笑いを取っていた。
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