Ryoma

緑の光線のRyomaのレビュー・感想・評価

緑の光線(1986年製作の映画)
4.1
現代アートハウス入門というイベントで鑑賞。
まず目についたのは原色が散りばめられたビビッドな画面。今まで見た映画だとゴダールの「気狂いピエロ」「軽蔑」にかなり似通っている画面だと思ったが、それもそのはず、「緑の光線」も遅咲きながらヌーベルバーグの作品群に入るらしい。このおしゃれで鮮やかな画面はそのままフランスという国のロケーションとファッションの華やかさに起因しているようにも思えた。
また画面のタッチは非常に特徴的で小津映画を連想させた。つまり、余りカメラを動かさずに淡々と絵になるショットを重ねていく感じ。ここら辺の感覚は長回しを多用する他の監督が好きな人にとっては退屈かもしれないが、僕はかなり好きだった。ときどき挟む日記のような演出もいい感じだし。
最後に、これは解説で深田晃司監督も言っていたことだが、映画全体、特に台詞回しの現代的なリアリズムについて述べておきたい。この映画「緑の光線」の登場人物たちは、普通の映画と違って、「映画に対しての意識的な台詞」というものをほとんど発しない。みんな自由に喋って、行動する。これはそのまま「自己に対しての意識的な感情」を見いだせずに彷徨う二十世紀以降の現代人そのものを射ているのだ。二十世紀は「無意識」を発見し、人間は不確実性の中で彷徨うことになった。同時にこの映画の主人公も「確実な感情」を発見できずにフランス中を彷徨う。まさに現代人の象徴のような主人公に希望はあるのか?その切実な命題が「水平線に沈む陽から放たれる緑の光線」に内包されるあまりにも美しいラストは、安易な言い方になるが、さすがにずるいと思った。本当に最高。
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