ハッサン

汽車はふたたび故郷へのハッサンのレビュー・感想・評価

汽車はふたたび故郷へ(2010年製作の映画)
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「自分自身が本当に望んでいるものを作ることが出来るのか?」
自分自身でいることの困難さ・大切さをテーマにした、映画監督としての半自伝的映画。

映画の原題である「Chantrapas(シャントラパ)」とは、フランス語から生まれたロシア語で、「Chantra(“歌う”の未来形)子」と対になる「Chantrapas(“歌わない”の未来形)子」で、「役立たず」や「除外された人」という意味らしい。
母国グルジアでは思想統制や検閲を受け、意志を貫くために旅立った先のフランスでは映画界の腐った商業主義と闘い続けた苦悩の日々。当時、故郷を離れざるを得なかった数多くのアーティスト達は皆、不慣れな水の中でどのように泳ぐのかも分からずに内側の傷を抱えている「Chantrapas」だったと監督は話している。(監督自ら語ったこの"水の中"の比喩によって、ようやく私たちはあの奇妙で不可思議なラストシーンに意味を見出すことが出来る・・・)
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この映画の時代背景はかなり複雑であるが、親切な解説は一切ない。多くの観客を感動させるようなサービスショットも一切ない。緩慢なテンポと説明を一切省いたエピソードの数々が延々と続くだけ。(その隙間を埋めるためには豊かな想像力が必要であるが、私たちは自分が理解出来る物事のあまりの少なさに打ちのめされてしまう。)この映画を観終わった後、落胆すると同時に、"この映画自体"が、徹底して観客に媚びない高尚な作品であること、監督のリズムが貫き通されていることを思って、胸に込み上げるものがあった。監督の生き方が、生きる姿勢が、私たち観客を勇気付けてくれているような気がしたのだ。監督の、ありのままの自分やら、他人からの顰蹙(ひんしゅく)を恐れない態度が、映画の内容をも超えて、私たちに「ありのままであれ」と暗に伝えてくれるような気がする。

ー何よりも大切なのは、自分自身でいること。
僕が僕であるために、曲げない、めげない、あきらめない。(オタール・イオセリアーニ)

(「最高に深刻なことを、微笑みをもって語る」イオセリアーニ監督が大好きだ。いつか家を建てたら庭にテーブルを出して日向ぼっこしながらみんなで紅茶を飲みたい。ボートの上でワインを飲みたい。いつまでも陽気に歌っていたい。映画の中の美しい人生のワンシーンがいつだって思い出せる。)