何もかもが究極的

アトランティスのこころの何もかもが究極的のレビュー・感想・評価

アトランティスのこころ(2001年製作の映画)
3.7
何事も多くは語られない。アンソニー・ホプキンスの言う、アトランティスの心、そして彼の能力、彼を攫った組織。
映画は、観客に全ての意味を理解させる必要はないのだ。理解は納得や安心感を与えてくれるが契約書であるわけでもなし、逆に気になるぐらいの方が見ていて面白い。
この映画は、重要な物事のピースを見せて
絶対に完成しないジグソーパズルに観客を誘う。それは主人公のアントン・イェルチンにも解くことができないパズルだ。何故ならアンソニー・ホプキンスは、本当に大切な事を教える時間しか、映画に登場しないからだ。だから空白のピースは、自分達の想像で埋めなければならない。
大人になった主人公、デヴィッド・モースもまだパズルの途中のようだ。

スティーブン・キングの原作は、この映画よりもより緻密な物語で理解しやすいし面白いと思う。でも、それをそのまま映画にしたところで、原作には到底及ばないだろう。この映画が原作とは、別の魅力を放つのは多くを語らないからだと思う。魅力的に人間を前にした時のもっと相手を知りたいという感情に似たものがある。

この未完成のような映画が、意図して作られたかはわからない。重要な登場人物であるはずのイェルチンの友人は、中盤から意味もなく全く登場しないしなかったりする(それ以外の部分は、観客側で補完できるので気にならない)
また母親役ホープ・ディヴィスの密告でアンソニー・ホプキンスは連れ去られ、主人公とは永遠の別れになる。彼女は愚かであるが故に、息子である主人公に許しを請う。この一連の出来事で息子の中で何かが欠けて、人に期待することをやめて諦めのような冷めた感情が彼を覆い、人を心の底から信用せず壁を作り自分を偽る人間にしてしまった事が彼女には理解できないのだ。この映画でホープは、頭が悪く何も理解できない本当に残念な母親役だ。しかし現実においても、大人は子供の期待や信用を裏切り「人生はこんなものだ」「お前のいい経験になった」などと言い訳をする。
それは最低な事だが、本当にそんな大人で社会は満員状態だ。だから子供達はアトランティスの心を失って、そんな大人達の真似をして少しずつ欠けた人間になっていくのかもしれない。