ノム

ミステリー・トレインのノムのレビュー・感想・評価

ミステリー・トレイン(1989年製作の映画)
4.0
2022年7月16日の朝日新聞に、亀田誠治さんの、「隙間がお互いを生かし合う」という記事が出ていた。その中で以下の文章。

ーー時間の隙間、言葉の隙間、心の隙間、この隙間が足りなくなると人の心は荒んでくる。音楽にも休符や、息継ぎという隙間がある。イントロや間奏だってそうだ。メロディー(主旋律)が休んでいる時には、他の楽器がしっかり歌っているものだ。たいていのものは隙間に彩られてお互いを生かし合っているのかもしれない。

記事の主旨は、コミュニケーションでの内容だったが、「隙間」「隙間に彩られてお互い生かし合っている」という言葉が、頭から離れない。おそらく、「隙間」が欲しいと思う瞬間が、これまでも多々あったからだと思う。

ジャームッシュ作品には、この「隙間」を感じる。心の余裕、ユーモアと言い換えてもいいだろう。

チップ文化を知らない日本の”田舎者”が”田舎のおばちゃん”のごとく、「This plum from Japan」と、プラムを渡す。面食らった(?)ベルボーイは、思わず鍵を渡してしまう。まるで、おすそ分け文化と、チップ文化が融合したかのよう。

イタリアから出てきたルイーザが、雑誌をたくさん買わされたり、コーヒー屋でよくわからない話で金を取られたり、カモにされている様子。

僕は知らなかったが、黒人の白人に対する逆差別。白人が入れない飲み屋?バーがあったりするのか。バーに入るも、緊張した表情のチャーリー。ビリヤード台にぶつかり、黒人に当たったり、ビリヤードの球の配置を治したり…。

こう言葉にすると、重たい内容にも見えてくる。自分は”ザ・社会性詰め込みました”みたいな表現は嫌い。主張が激しくて、胸が詰まる思いがするからだ。でも、ジャームッシュは「こんな瞬間あるよね」と思わず笑ってしまうような形で、痛痒く、あたたかく、爽やかに表現してくれる。こちらを笑わせてくれる隙間、余裕をジャームッシュに感じるのである。

そんな”隙間性”を感じる今作、並びにジャームッシュ作品が僕は好きだ。今やってる『エルヴィス』も見るか迷うなあ。
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