「自由の幻想」という、いかにもいわくありげな題名と、「今度は完全に自由な映画を作るつもりだ」と語ったと言われているルイス・ブニュエル監督自身の意図からして、これは一見すると何やら小難し気な作品であるかのようだ。
「アンダルシアの犬」以来の、この孤高のシュールレアリストのブニュエル監督の軌跡を知れば知るほど、私は観る前から自由どころか、精神のコワバリをさえ覚えるのだ。
ところがブニュエル監督は、そんなものは無用の緊張とばかりに、冒頭から観る側のコワバリを解きほぐしにかかるのだ。
この「自由の幻想」の醍醐味は、まずもって、この精神の脱臼作用とも言うべき解放感のうちに求められるであろう。
1808年、スペインの古都トレド、ナポレオンの軍隊が侵入し、画面では今しも抵抗者たちの処刑が執行されている。
銃口を前にして、スペインの老若男女が口々に叫ぶ。
自由くたばれ! と-----。
フランス革命の理想に対するブニュエル監督一流の痛烈な反語だ。
ブニュエル監督にしては珍しい"歴史劇"かと思っていると、実はこのエピソードは、昼下りのパリの公園で、一人の中年の女が読んでいる本の中の出来事であることがわかる。
むろん、時点は現在だ。この中年の女がかしずく良家の少女に、見知らぬ紳士が数枚の写真を渡す。
帰宅して、両親(ジャン=クロード・ブリアリ、モニカ・ヴィッテイ)に見せる。
おおイヤだ、何て猥褻なんだろうと嘆く両親の声。
しかし写真は、凱旋門をはじめ何の変哲もないパリの風景ではないか!
その深夜、父親が悪夢にうなされた。
映画史上の傑作「忘れられた人々」の有名なシーンの再現だ。
翌日、父親は病院へ行って、夢判断を仰ぐが、むろん相手にされない。
するとその病院の看護婦宛てに母危篤の電報が来て、嵐の中へと旅立って行く。
途中の安ホテルで黒衣の修道僧たちとカードに打ち興じるのは、これまた名作「ビリディアナ」の再現だ。
このように、またもやお話変わりましてとなるあたりで、どうやら、この作品の構成が、無限に連鎖するコントの集成であるらしいことに気づかされる。
それではと、開き直った観る側が、ギャグまたギャグに哄笑していると、ラストシーンで、警視総監(ミシェル・ピッコリ)指揮のもと、パリ五月革命の残党たちへの大弾圧が展開され、再び、自由くたばれ! というスローガンが、斉唱されるというオチがつく。
既成の映画作法からあくまで自由に、ルイス・ブニュエル監督は、果敢にも観ている我々をも笑い飛ばすのだ。