charo

群衆のcharoのレビュー・感想・評価

群衆(1941年製作の映画)
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コラム打ち切りにより、解雇となった女性。
最後の新聞に、名もなき男ジョンドゥを名乗り、
クリスマスイヴに自殺するという嘘の記事を書く。


その記事を見た人々は新聞社へ連絡殺到。
他の新聞社からの圧力をかけられ会社を守る為、
架空の男性ジョンドゥを見つける羽目に。


女性は解雇されず、その後もジョンとして
記事を書き続けることになった。


ジョンを演じる男性は、各地で演説を開催。
“普通の人“による国の成立が、たちまち
社会現象となり、ジョンドゥクラブができる。
(国民は政府や福祉に頼らず生きていく)


だが、その人気を利用して政治家たちも動く。
ジョンは国民の善良を利用するなら、
政府の正体を暴くぞ!と脅すも彼には立場がない。
ジョンは演説の最中に、メディアにより、
嘘であることを伝えられ、国民は、
手のひら返しのように、ジョンを責め立てる。


ジョンは手紙の最初にあったように、
クリスマスイヴに自殺をしようとするも、
惹かれあっていた彼女やジョンを支える
人々に助けられ、映画は終わる。


最後の捨て台詞
"これが大衆だ、立ち向かえるか?“
このシーンがとても印象に残った。


群衆は、自由に見えるが、裏で政府によって
支配され、マスメディアにより踊らされ、
ポピュリズムを目指したことが分かる作品。


いろんな側面から嘘をついていることで、
ピノキオの曲を使った演出がよかった。
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