切ない。『狼たちの午後』もそうだけど実録犯罪物の同性愛者の末路は、切ない。後味も悪い。でも好きだなー。
ハイウェイが通る橋の下、土砂降りの雨、有り金は5ドルと錆びた拳銃。 このファーストカット、凄く良い。
この5ドルを使わずに死ぬのは勿体無いと入ったゲイバーでセルビーと知り合うのですが、あの橋の下で死んでいたのと、セルビーと知り合った事から始まる悲劇と、どちらがこの主人公リーにとって幸せだったのか。
”最も純粋なものこそ深く人を傷つける、いかにも恐ろしいものは、そんなに辛くない”
いや「14の時から客をとってる、生まれながらの娼婦さ(アイム・ファッカー)」と嘯くリーに、幸せだった時なんてあったのだろうか。
”人は誰でも娼婦を見下す、自堕落な生き方だと思うからだ、でもこの仕事には強い精神力が要る、たった一人で夜ごと街を歩く、何があっても切り抜ける、私はそうやって生きてきた”
連続殺人鬼の殺害シーンの多くは淡々と、或いは猟奇的に描かれがちですが、リーが客を殺すシーンでは痛みを感じます。実際叫んだりもします。発砲の際にあげる叫びは、咆哮か悲鳴のようにも聞こえます。
男の連続殺人の殆どが性衝動の延長にあるので動機は不明であっても見る者は納得するのですが、女性の連続殺人の場合は、やはりこのリーのように何かしらの動機が必要です。それが正当防衛であれ金目当てであれ。だからこそ人を殺すたびに殺人者は自らの心を削ります。まるでリストカットの様に。
勿論、人を殺すのは悪い事です。
しかしアイリーンの生い立ちを知れば知るほど「他にどんな選択肢があった?」という声が聞こえてきそうです。
全てを犠牲にしてまで守ろうとしたセルビーに裏切られる録音された電話の会話は、YouTubeで見れます。実際にアイリーンはこの映画のように電話のテープを聞き法廷で涙しています。この裏切りを機にアイリーンは「正当防衛」という主張を止め、死刑を望んだそうです。
法廷から白い廊下へ歩くリーの最後のナレーション。
”愛はすべてに勝つ、絶望の果てにも公明が、信仰は山をも動かす、愛に困難はない、すべての出来事には道理が、命ある限り希望の光が。
ふっ、勝手にほざけよ”
この映画を観るまではシャーリーズ・セロンという人を知らなかったので他の映画でご本人を見た時は人違いかと思いました。