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ひなぎくのakqnyのレビュー・感想・評価

ひなぎく(1966年製作の映画)
4.0
‪2020年8月10日、閉館前のユジクで。



大人を騙したり、パーティ会場で暴れまわったり、社会や常識に盲目的に、ただ自分の存在を確かめようと突っ走る彼女たちがとにかく最高。ポップな画と、ヌーヴェルヴォーグのコミカルで実験的手法。

ガールズ青春映画の金字塔!のような売り出しでただ消費される作品の一つという見方をしていたのだが、最後の最後に、そのキッチュさもナンセンスさも、全てポリティカルな主題への伏線なのだと驚いた。


主題となるのは「自己と他者」なのだ思う。

人間は、自分と自分以外の認識を2〜3歳で既に得るようなのだが、13〜18歳くらいの思春期では"自分以外"の中にも、社会というものがあり、秩序、常識というものがあることも学び、自分は"自分以外"のどの位置に属すのだろうかと他者との関係性を再構築する。

一般に、思春期は物に当たったり人間関係でギクシャクするのも、この自己の存在を他者を通して確かめようとしているからなのだと思うが、それはまさに一種のコラージュであるとも取れる。

この映画では手法としてのコラージュがふんだんに使われており、「連続と分断」も一つのテーマとなっている。(ハサミのモチーフ、全く関係のないカットなど)
日々は連続性の中にあり、今日の次は明日であることは自明なのだが、青春とはその一時的の記憶が途切れ途切れ続いていくようなものであるし、またそんな日々を断ち切るが如くチェコスロバキアの運命を暗示しているのかもしれない。

当時のチェコスロバキアは、「人間の顔をした社会主義」として自らの手で社会主義を変えようとしプラハの春が起こったが、それはソ連の武力圧力や言論統制、画一的な秩序をより一層強めることにもなった。

そんな社会に抗うような彼女たちの底抜けの自由さは、当時のチェコスロバキアとソ連的東欧社会を真っ向から批判していると思うし、それ故にこれは実験映画でも女の子映画でもなく、れっきとした権力に対する反抗でありポリティカルな映画であると言える。

最後に流れる「彼女たちの振る舞いをよく思わない人たちへ」という言葉と廃墟を飛ぶ爆撃機は、この映画の全てを物語っていると思う


色んな意味で生きづらい今の日本で見るからこそ一層輝いて見える作品。

底抜けに自由であることは、つまり政治的であること。その自由さは政治によってどうにでもなることを忘れては行けないと思った。



ヴァーツラフ・ハヴェルの「力なき者たちの力」という本をNHKの100分de名著で放送していた回があって、番組の中でもトップクラスによかったと思うのだが、この作品こそハヴェルの「力なき者たちの力」と合わせて見るともっとわかる気もする。

ハヴェルは言語の硬直化、形骸化を指摘しており、全体主義の世の中に抗うためには個人が「真実の生」に生きることが必要だと言っているのですが、まさにその徹底した真実の生こそ、この作品の彼女たちではないだろうかとも感じた。


改めて、こんな名作に出会わせてくれたユジクに感謝します。またいつか阿佐ヶ谷で観れる日を。
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