森崎

ムーランの森崎のレビュー・感想・評価

ムーラン(1998年製作の映画)
3.0
アニメ映画観賞週間にもなっているような気がしないでもないのでついでに「観たことのないディズニー映画に触れてみる祭」も開催でいきましょう。

『ムーラン』、ディズニーが?女の子主人公なのにプリンセスでもない??舞台は架空の地でなく中国???と全く知らないこともあり疑問は尽きなかったけれど実際に観てみてもなかなか異色だった。

舞台は中国。ムーランは家のためよい結婚ができるよう家族の期待に応えようとするも空回りばかり。そんなある日フン族の襲来の知らせを受けた皇帝の命による守りを強化するための新たな徴兵の報せが来た。それは各家から男子をひとりずつ送ること。脚を悪くした父を案じたムーランは身代わりに出兵するため長い髪を切り落とし父の鎧を纏って戦へ向かうー


なんだろうか、個よりも家社会にぐっと寄った物語になっている。

立派な娘になること、それは良い結婚をして子どもを産むこと。それが社会の中での価値観でありそうすべき当たり前のことだった。父に誇ってもらえるように、家族の期待に応えたいのに上手く出来ないことで悩み自信を無くしてしまうムーラン。この時点ではムーランに個としての意思や願望は感じられない。社会の中で形成される価値観に個としての幸せを重ねようとしながら女性らしくいられないために社会から取り残され淘汰されてきた女性もいたのだろうと思いしんみりとした。

次にムーランを加護することとなるムーファーの存在。
純粋にムーランの無事を守るためでは無く、“女ということをバレないように”守るという使命。それは家名を汚さないようにという先祖代々の霊の心配から来るものであり家を守りたいからこそのもの。ムーランは知らず知らずのうちにここでも家というものを背負わされている。


ところで元となるムーラン伝説は最後の最後まで女ということはバレていない。そのため無理に恋やジェンダー観をくっつけているようなむず痒さもあった。

男は戦場に出て帰りを待つ妻を想いながら戦う。そこにいるのが男性だけならば何も違和感がなく見られるけれど、その場に女性がひとりいるだけで(ん?)と感じてしまう不思議。顔立ちが良くて器量良し、包容力がある、料理が上手けりゃ他は望まない、など男性の好みは実は様々だと気づきがあるものの頭のよさは歓迎されていないあたり男女の力関係の差にはどこでも根深いものがあるのだろう。

そんな男社会の中でめげずに訓練を受け続けて心身ともに逞しくなっていくムーランの成長は本物。度胸と頭脳を使って大きな功績を挙げることとなる。
しかし浮かない顔を見せた彼女を救ったのは父親にただ抱き締められる、それだけのこと。個としてそもそも愛されていたことを知った彼女はこれからきっと自信を持って生きていける。
…が、最終的に隊長と結ばれてめでたしめでたしとなるだろうことを予感させるラストにはディズニーそういうことやぞ~!冒頭とラストで「嫁に行く」ことの意味合いは変わったかもしれないけどさ~!とも思った。
隊長とピンという“男と男”では互いに尊敬している関係性。それが隊長とムーランという“男と女”では隊長の尊敬が恋愛感情にすげ変わってしまったのがなあ。


そんなディズニーのお決まりや動物デザインとアジアの舞台の相性に所々違和感もあったけれど、雪が意思をもって動いているようで恐ろしかったほどの雪崩の描写、美しい建物や風景をバックに繰り広げられた活劇はなかなか楽しいものでした。
森崎

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