少女たちが、ただ小麦の収穫を手伝うだけで、ただ川べりに止めてある船の上でいるだけで、楽しくてたまらないという雰囲気が懐かしかった。
車を使わず、馬車で移動するのもすてきだった。馬が自分でドアを開けるのも、ニンゲンとの信頼関係があるからなんだろうな。
自然とニンゲンだなんていう、おこがましい対立構造がなくて、あまりにも淡々と日常がすぎているのが、じんときた。
一番、チェルノブイリでの事故の影響を受けている人が、電気を使っていないという、不思議加減。わたしの文明的な生活も、たくさんの矛盾の上にあるんだと、思い出させられた。