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魔笛のMASAYAのレビュー・感想・評価

魔笛(2006年製作の映画)
3.4
授業で提出したレポートをそのままコピペします。


 モーツァルトの『魔笛』は非常に有名であり、誰もが知るオペラ作品であるが、その著名度故に2度映画化がされているのである。初めて映画化されたのは1979年である。『第七の封印』(1957)や、『野いちご』(1957)で有名なスウェーデン映画の巨匠、イングマール・ベルイマンの手によって、2作目は2006年にケネス・ブラナー監督によって製作された。今回は、映画『魔笛』(2006)について言及していきたいと思う。
 まずケネス・ブラナーという監督を紹介しておく必要がある。ケネス・ブラナーはイギリス生まれの俳優兼監督であり、代表的な出演作としては『ハリーポッターと秘密の部屋』(2002)、『パイレーツ・ロック』(2009)等が挙げられる。監督作品としてもマーベルシリーズの大作でもある、『マイティ・ソー』(2011)であったり、ディズニー映画の『シンデレラ』(2015)を手掛けたりしているなど、実力派と言えるであろう。ケネス・ブラナーは『ヘンリー5世』(1989)、『から騒ぎ』(1993)、『ハムレット』(1996)など数々のシェイクスピア作品を映画化してきた実績もあり、『魔笛』に関してはモーツァルト生誕250年に合わせて作られた。また、本作が作られた背景としては、英国のピーター・ムーア財団が英訳歌詞によるオペラの普及を目的とした映画製作事業でもあり、それゆえに出演者の顔ぶれも豪華なものとなった。余談ではあるが、ちなみにケネス・ブラナーは2008年にブライアン・シンガー監督のこれまたオペラ作品の映画化である『ワルキューレ』にも出演している。
 次に内容である。まず面白い試みであるのが、舞台設定が第一次世界大戦時におけるフランスの最前線付近という点である。名作古典から現代にも通じる要素を抽出し、独特な演出でシェイクスピア・ワールドを体現し大衆に広めるこの手法はケネス・ブラナー節が炸裂している。有名なシーンが現代風にどのように手が加えられたか言及していきたいと思う。『魔笛』大きく分けて、対立→争いからの調和→平和という構成を組んでいると考えるが、夜の女王とザラストロとの対立を塹壕を挟んだ青い軍服の軍と赤い軍服の軍との対峙で現している。タミーノは大蛇に襲われる代わりに、毒ガスによって気を失い、夜の女王に仕える従軍看護婦3人が助けたものの、目覚めたときに傍にいた鳥刺しパパゲーノを命の恩人と思い込むというオープニングである。この後パパゲーノが口に錠を掛けられてしまう展開は多少無理があったものの、ここまでは非常に上手く現代劇に落としこんだ印象を受ける。
 そして圧巻だったのは夜の女王の登場である。オペラでも「待ってました」とばかりに登場する夜の女王ではあるが、なんと本作では走り来る戦車の上に仁王立ちで現れる。もちろん女王の衣装でである。このギャップに多少戸惑うかもしれないが、これこそ映画ならではの演出と言えるであろう。非現実的なシーンでも印象を強く与えるためにCGを駆使し、このような表現ができると考える。
 また、意外性があったのはザラストロである。実はザラストロは悪人ではなく偉大な祭司で、世界征服を企む夜の女王の邪悪な野望の犠牲とならないようにパミーナを保護していたというのオペラであるが、映画ではザラストロは宗教的指導者ではなく、民衆のリーダーという役である。本作ではドイツの知的なマイスターで、その城の中に手工業の理想郷を実現しようとしている民主的指導者なのである。戦争に反対する平和主義のリーダーという設定になることによって、より現代的且つ社会風刺を織り込んだ人物像になったように感じる。
 しかしながら良い点ばかりではないのもまた事実である。例えばCGの多用であろう。迫力が増したり、幻想的な映像をにしたりしている点では評価できるが、行き過ぎてしまうと、シーン全体が白けてみえるという問題がある。とりわけ歌を楽しみたいシーンなのにもかかわらず、細かくカットを割ったりしてしまうと目がチカチカしてしまい、歌どころではなくなるのである。あくまでも主役は俳優と歌なのであるから、演出はそこを引き立てるためになくてはならないと考える。
 とはいえ、個人的に全体の満足度は高い。というのも、139分という尺の中で、序曲からフィナーレまでの全22曲をその順番通りに使用した上で、映像化に成功し、しかも力量ある豪華な歌い手達が見事に歌い継ぐという非常に現代的なオペラを堪能することができたのは間違いないからである。ケネス・ブラナーはこう語る。「こちらはオペラの初心者、あちらは俳優の初心者。だからお互い謙虚にコミュニケーションが取れたと。」なるほど確かに一理ある。
確かに賛否両論分かれる作品であることには変わりないが、だとしてもこれからの映画界における、クラシック作品の映画化の足がかりになってほしいものである。
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