harunoma

拾った女のharunomaのレビュー・感想・評価

拾った女(1953年製作の映画)
4.5
拾った女・サウス・ストリートのスリ
最高80分。
映像全般、娯楽、演出、キャラクター、活劇、視線の集中砲火モンタージュとはこのようにありたいものだ。回りくどいどうでもよい問題をデジタルシフトと呼ぶなら、16mmでもいいから、モノクロで三脚に載せて撮っておけばいい。
サウス・ストリート・シーポート、イーストリバーという揺動面の水の上の小屋に住む掏摸とはどこまでも嘘であるが、であるがゆえに最高に軽く、やはり本家ヌーヴェルヴァーグだ。もちろんベルモンドよりもタフだ。
ブサイクな刑事やタレコミおばあちゃん(『裏窓』のセルマ・リッター)、中華食いながら一向に目線を合わせない情報屋ルイ、そして拾った女ギャル、どいつもこいつもおもしろすぎる興味しかない。セルマ・リッターは素晴らしかった。
現代のポリコレ的ノータリンの一面的な言説が機能しないのは、狡猾な獣の知性を嗅ぎとり、立場設定上ではない反転する切り返し=抵抗が続きに現れているからだ。ふらふらと電車に乗れば掏摸に合い、謎のフィルムはFBIお宝の陰謀となり、探し求めれば小金をせがまれ、気絶し、抱き寄せキスをし、殴り、やはり闇へ消えていく。50年代の都市ではあらゆる者が息づいている。あまりにも殴りすぎるのがよく、争いのための部屋の空間がやけに広かったり、改札前の駅の広間も戦うためだけにある。
harunoma

harunoma