Fal2018

機動警察パトレイバー2 the MovieのFal2018のレビュー・感想・評価

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政治的主題が前景化しているこの作品は異色作のように思えるかもしれないが決してそのようなことはなく、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)や後年の『スカイ・クロラ』(2008年)で使われたループ構造は日米安保という危ういフィクションによって担保された戦後日本の平和と繁栄を「成熟(=政治的自立)の拒否」というメタファーによって不機嫌に異化するための手法だった。他の作品では手法として扱われているものが、本作では内容として扱われているというだけの違いしかない。

では、本作の手法は何かというと、ひとつ挙げられそうなのは「光と影のコントラスト」ではないかと思う。特に前半では東京の夜の人工の光が登場人物たちの顔を照らし出す演出が多用されており、ここでは人工の光が戦後日本の経済的繁栄(それは世界のどこかに「影」を作りだしてもきた)を象徴し、その光の危うさ・不自然さが強調される。自衛隊が都心に進駐した後の夜にLumiere et Ombre(フランス語で「光と影」ですよね?)と大書きされた商店の窓が描かれているシークエンスがあり、この演出が意識的に採用されたものであったことが窺える。

時間的には夜でありながら自然の光が目立つのは中盤の、月明かりの夜に南雲と柘植が密会を試みる箇所で、ここでは戦後日本の「外部」を生きる可能性が示唆されるが、2人は言葉も交わすこともないまま、荒川・後藤の介入によってその可能性は封じられる。

映画の後半、柘植が仕組んだ「状況」が全面化してからの出来事は昼に展開する。あたかも戦争というリアルが平和というフィクションを吹き飛ばしたかのように。だが後藤が柘植のシンパだった荒川を逮捕するのは「幻の」新橋駅の人工の光の下でであり、ここでは秩序の回復の兆しが、人工の光、すなわちフィクションかもしれない戦後日本の平和の再評価と重なる。

終盤のトンネル内の戦闘は当然、自然光は入らず、冒頭を除けば一番「実戦」に近い場面であるにも関わらず、すべては人口の赤い光の下で展開する。ここで人工の光=偽りの平和/自然の光=リアルな戦争という区別は実際の戦闘によって崩れ去る。

単純にリアルを直視せよというのとも、フィクションに適応せよというのとも違う、その矛盾を矛盾のままに限界まで突き詰めて考えていてやはりすごい作品だと思った。(実はうろ覚えでもう少し安直に「現実みなよ」といってたように記憶してたんですが、改めて観てみると本当にきわどいところで拮抗していた。)

「の」が多い文章ですみません。
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