Jeffrey

ぼくの小さな恋人たちのJeffreyのレビュー・感想・評価

ぼくの小さな恋人たち(1974年製作の映画)
4.5
「ぼくの小さな恋人たち」

〜最初に一言、傑作。ユスターシュによるもう一つの「大人は判ってくれない」で、生まれ故郷と祖母への想いが伝わる優しい映画だ〜

本作はジャン・ユスターシュが1974年に監督した作品で、このたび廃盤のDVDを購入して初鑑賞したが傑作。破綻と狂気の日々、そしてランボーの詩から名付けられたタイトル。フランス映画の中で最も愛され、そして呪われた青春映画の傑作として名高いユスターシュの作品で、生まれ故郷でもあるペサックの美しい自然やナルボンヌの街並みを脳裏に描きながら自らの思春期を痛々しくもみずみずしく写し取った監督最後の長編映画である。「ママと娼婦」のカンヌでの勝利によって、監督としては恵まれた予算で撮ることのできた唯一の作品で、撮影監督にはネストール・アルメンドロスを起用しており、ただ、撮影期間中はアルコールと薬物の過剰摂取により、死と向き合いながらの撮影となったようだ。

しかも、クリスマスの封切り直前には、ー部のジャーナリストを拒否したことから映画批評のボイコットが起こるなど、フランス映画の中でも呪われた映画の1本に数えられる。この作品は監督の少年時代を再現した劇映画であり、エヴァンヌ・アンスカ著の「わがユスターシュの歳月」には、ユスターシュの最も古い友人で「サンタクロースの眼は青い」では主人公の友人役、「僕の小さな恋人たち」では二輪車屋経営者として出演もしているいるアンリ・マルティネーズの撮影時の思い出を語る談話が収録されているようだ。この自伝的映画は、プレス試写で「ママと娼婦」を酷評したある批評家を監督が追い返したことに対する反発から、批評がほとんど出ず、興行的にも失敗しているが、代表的な1本とされている。それと監督は、この映画の撮影中に祖母が亡くなってしまって苦悩のあまり酒と薬に溺れていたそうだ。

どうやら封切りの直前に、フランス批評家連盟との事件が起こってしまって、その後に祖母が亡くなり喪失感を覚えてアルコールと錠剤が途方もない量で服用していき、彼の意識は極端に明晰したとの事。地面に立つために、ユスターシュはアルコールで意識を鈍らせなければならないほどだったそうだ。しかも撮影期間中に、監督は3度血液を交換させられたそうだ。薬物の過剰摂取状態の彼を寝室で見つけたからとプロデューサーのピエール・コトレルの証言に書いてあった。監督自体はこの作品の撮影期間中に何度も死にかけていたそうで、関係者はこの映画をクリスマスに封切るのを諦めざるを得なかったそうだ。デリュック賞を狙っていたが、批評家との事件のせいでそれも不可能になって、この作品を制作するために、プロデューサーはジャック・ニコルソンが共同出資者だと言う噂を流したそうで、それは嘘で、ジャックはこの映画に投資していないことがわかり、本作を彼に見せたとき、彼は自分たちに素晴らしい。でもあなたはこの映画を完成させました。私は必要ないですねと言ったそうだ。



さて、物語は13歳のダニエルは、祖母と一緒にフランス南部の小さな村に住んでいる。彼はある時、校庭で理由もなくクラスで1番背の高い同級生マジニの腹を殴る。聖体拝領の儀式が行われる教会で、美しい少女を見たダニエルが勃起した性器を背後から彼女に押し付ける。放課後、ダニエルは友人達と映画館の前を通る。ダニエルは2人の友人を乗せて自転車で坂を下る。サーカスのテントが張られようとしている。隣家の兄弟を家まで送ったダニエルは1人で家まで帰る。罠にゴシキヒワが入っているが、ダニエルがそれを祖母に見せようとして逃がしてしまう。彼はサーカスのテントを見に行く。仲間の子供たちがテントのそばに集まっている。家に帰る道で、ダニエルはある美少女から「クリスチャン!」と呼び止められる。その少女はよく彼を別の少年と間違えたが、臆病なダニエルは何も言わずに立ち去る。

夜、サーカスで、男が短剣や猟銃を飲む。ダニエルは祖母と一緒にそれを見ている。上半身裸の別の男は砕いたガラス片の上に背中を何度も叩きつけ、人を背中に起たせる。昼間、戸外でダニエルは隣家の兄弟を含む仲間たち相手に、ガラス片の上に寝るサーカスの曲芸師の真似をしてみせる。その後、彼は高い木の枝に代わる代わる登っては飛び降りる。ダニエルは隣家の少女をからかい、逆に組み伏せられる。大人が来ると、木に登った少年1人を残して子供たちは逃げる。ダニエルは隣家の兄弟を乗せて自転車で坂を下る。途中で1人の美少女を追い越す。ダニエルは彼女と話したことがあったが、彼女は彼のことを覚えていない様子だ。ダニエルは彼女に向けておもちゃの拳銃を撃つと自転車で逃げていく。

祖母が野菜を売っている市場でダニエルは顔見知りのデュルー婦人から、中学入学を祝福される。婦人は新聞で知ったのだと言う。彼は市場で野菜を売っている婦人から、娘を拳銃で脅したことを怒られる。ダニエルは中学の同級生達と一緒に学校から帰る。中学生の1人は、舌を使ったキスの仕方について話す。翌年、彼が帰宅すると母親がスペイン人の愛人ジョゼと一緒に来ていた。ジョゼの事は母親から来た手紙に書いてなかった。ダニエルが自転車のタイヤの掃除をしていると祖母にジョゼに付き添ってお使いに行くよう頼まれる。出かける前に、ダニエルは母とジョゼが情熱的なキスをするのをぼう然と見つめる。並んで歩きながら、ジョゼはダニエルに、仕立屋と二輪車や(自転車、バイクの販売、修理)の2人の兄がいると語る。

ジョゼ自身は小作農だと言う。ダニエルは卒業したら、母親と一緒に暮らせると思っている。ダニエルが乗り込んだ鉄道車両の個室に高校生が入ってくる。2人の高校生は金髪の娼婦を個室に連れてくる。娼婦とキスしたり、娼婦の体を愛撫する彼らの行為をダニエルは向かいの席で見つめる。ダニエルは祖母に見送られて駅に向かう。ついに母と一緒に暮らすのだ。彼にとってはじめての大きな一人旅だ。駅で母が迎えてくれた。駅から2人はタクシーに乗り狭いアパートに着く。7時ごろ、ジョゼが帰宅する。ダニエルは自分が女性に歓迎されていないと感じる。ダニエルは母に起こされる。母は彼を連れて買い物に出る。母が家で仕事をする間、ダニエルは外に出て、あてもなく散歩する。彼は釣り人とその息子と会話する…と簡単にあらすじを話すとこんな感じで、優しい祖母や友人たちに囲まれ、幸せな日々を送るダニエルの話。

両親は既に離婚。ある日、突然戻ってきた母は、自分の住む街で一緒に暮らすことをダニエルに提案する。母はそこで男と暮らしていた。1人で汽車に乗り街へ向かうダニエル。母の言いつけで学校へは行かず、バイクの見習い修理工として働くことになった。単調な日々が始まる。カフェへ行くと若者達が話すのは異性の事ばかり。失望、淡い想い、そして訪れる性への目覚め…とこのような内容で、キャストにモーリス・ピアラと言う名前があったが、あの監督のピアラのことだろうか?



冒頭ののどかな田舎街からスタートするこの作品、サーカスのシークエンスは結構グロテスクで痛々しい。割れたガラスで首を押し付けたり、背中に破片を刺したりと…それを主人公の男の子が子供たちの目の前で真似するんだけど、全てがなんちゃってで笑えた。確か、監督はピガールやブランシュ広場などにたむろするチンピラの中に手入りしてダニエルと呼ばれていたそうだが、この作品と「サンタクロースの眼は青い」の主人公の名前もダニエルになっている。さて、ここから少しばかり私の知っているジャン・ユスターシュの生涯について話していきたいと思う。彼の書籍を読むと、まず59年から60年にかけては、アルジェリア戦争微兵拒否のため毒物を飲み、病院に監禁され、電気ショック治療を受けたそうだ。彼の生涯において自己破壊的行動は数度にわたって見られるが、これはその最初であったとの事…。60年にジャネットと結婚(結婚当時カイエのの秘書であったのか後にそうなったのかは不明)、同年には長男ボリス(監督にはもう1人パトリックと言う次男がいる)が生まれたそう。

私は違うユスターシュ監督の作品のレビューで、尊敬している監督はジャン・ルノワールのみと彼がインタビューで語っていたことを伝えたが、私の読んだユスターシュ監督の書籍によれば、彼が偏愛した作家にはルノワールはもちろんのこと、ラング、ドライヤー、ブレッソン、そして溝口健二がいたそうだ。特に溝口の「山椒大夫」は彼に映画を撮る決心をさせたとまで言われているようだ(ちなみにゴダールは、好きな監督3人あげてと記者に言われた際に、3回とも溝口、溝口、溝口と答えていた)。ちなみに彼の愛読書はプルースト、ベケット、ゲーテである。またナレーションへの興味から、サッシャ・ギトリにも大いに関心を寄せていたそうだ。紆余曲折あって、80年にギリシャに旅行しに行った際に、ホテルの部屋のテラスから落下して、以後片足が不自由になってしまったそうだ。自殺未遂ではないと思われるが、死の数週間前に会いに行ったコトレルに対しユスターシュはら夕日を見ようと思ったが手すりがなかったので落ちたと言っていた。

そんで翌年の81年の11月5日にパリの自室でピストル自殺して、自殺の模様は、回しっぱなしのビデオカメラにとられていたそうだ。晩年の彼は家に閉じこもりきりで、ビデオで巨匠の作品を見て、頻繁に電話をかけ会話を録音。髪の毛も髭も伸ばし放題で、ベケットを読んでいたそうだ。部屋の扉には、「死者を起こすには強くノックすること」とか、「もし返事がなかったら、それは死んでいるからです」と記されたカードが貼ってあったと言う。ちなみに11月6日に、映画高等学院の特別講師として彼を慕っていたジャン=アンドレイ・フィエスキスが車で迎えに来て遺体を発見したそうだ。さらに言うと監督ユスターシュのモデル小説「ダミアン」と言うのがあるのだが、90年代も終わりの現在で、フィリップ・ガレルの98年作品「夜の風」、68年の革命の闘士が、革命後30年も経った後に犯す曖昧な自殺の物語。そして哲学者ドゥルーズの投身自殺などを考えると監督の死は、これらの死にどんな関係があるのか気になる。
Jeffrey

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