Jeffrey

ミツバチのささやきのJeffreyのレビュー・感想・評価

ミツバチのささやき(1973年製作の映画)
4.0
「ミツバチのささやき」

〜最初に一言、重厚なテーマを、繊細な美しさに満ちた映像と音、そして映画ならではの魅力に溢れた語り口で表現したエリセ監督の最高傑作である。彼はこの1本で世界を制覇し各映画祭の賞を総なめにした。私はこの作品、いやエリセの作品全てを映像の詞華集と言う〜


‪冒頭、映画を楽しみにした子供たち。劇中の怪物を精霊と思い込む少女…彼に逢いに町外れの一軒家へ。黯然で陰翳な部屋。晦冥に包まれた大草原…スペイン、フランコ独裁政権の下で制作された本作はストレートに少女の成長を描いていると思いきや微力ながらに政権批判をしている‬傑作。本作はビクトル・エリセが、監督と脚本(アンヘル・フェルナンデス・サントスとの共同)を務めたスペイン映画の傑作で、この度BDで再鑑賞したが素晴らしいの一言。シカゴ国際映画祭を皮切りに様々な映画祭で賞を受賞し、1931年のアメリカのホラー映画「フランケンシュタイン」の物語を下敷きに、主人公である少女アナと、逃亡者との一時の交流を幻想的に描いたもので、フランシスコ・フランコによる独裁政治が終了する数年前に製作されている。スペイン内戦がフランコの勝利に終結した翌年の1940年、中部カスティーリャ高地の小さな村を舞台に、巡回映写で映画「フランケンシュタイン」を見た6歳の少女アナと9歳の姉イザベルに、フランケンシュタインは実際に村のはずれの一軒家に隠れていると聞いてその話を信じ込むと言うプロットで、撮影はフランコ時代の1973年に行われたのは有名な話だ。

とりわけこの映画はシカゴ映画祭やロンドン映画祭でも評価されたが、中でもカンヌ国際映画祭批評家週間出品での圧倒的な絶賛が記憶に残る。確か「マルメロの陽光」では2度目のシカゴ映画祭で受賞していたしカンヌ映画祭でも審査員特別賞的なの受賞していたと記憶している。その間に「エル・スール」と言うまた傑作があるのだが。いい加減「マルメロの陽光」を再発売して、ブルーレイ化するべきだ。とりあえず本作は重い主題を、繊細な美しさに満ちた映像とそして音で観客を魅了し、その映画ならではの魅力に溢れた語り口で完成させているエリセには脱帽するのと同時に、世界的に天才子役として認められた、アナの圧倒的な芝居と可愛らしい表情は余韻とともに脳裏に焼きつく。ファンにとっては10年に一本のペースで映画を撮るエリセについては、心苦しいが、1本1本を丁寧に撮っているところは非常に素晴らしく思うが、やはり10年に一本だとかなりきついところがある。

「ミツバチのささやき」については、単純明快なプロットに思われるが、そんなこともなく、メーテルリンクの1901年の蜜蜂の世界の一節が流れたり、学校の詩の授業で少女が読むのは、19世紀の女流詩人のロサリア・デ・カストロの詩である。「フランケンシュタイン」の映画は、言うまでもなくジェームズ・ホエール監督、ボリス・カーロフ主演の「フランケンシュタイン」(1931)からだろうし、父母が共和派として戦ったり、説明を極力排除しているがその表現全てに意味が与えられている。そもそもエリセの映画を見ていると、映像と音の純粋なまでの単純さが特徴であり、ストーリーの説明的な部分はほとんどなくされているのだ。私自身、子役映画は非常に好きで、子供を使った映画を多く輩出しているイラン映画もとても好きだ。スペイン映画で子役が素晴らしかった作品で真っ先に思い出すのは「汚れなき悪戯」のマルセリーノを演じたパブリート・カルボなのだが、アナはそれを上回ってしまうことの素晴らしさがある。

今思えば「ミツバチのささやき」の撮影を担当したクワドラドは74年日本でも公開された「赤ちゃん戦争」も担当している人物だな。とりわけ抑えた深い色調の本作は撮影監督にとっても素晴らしい仕事の1つだったのではないだろうか。そして何よりも音楽はギターとハープ、ピアノ、フルート、リコーダーなどの単純な楽器構成で、美しいテーマを聴かせてくれるのも魅力の1つだ。全体の音響構成は、余計な音を排除して、列車の音、風、鐘、自転車、オルゴール時計の音を印象的に使用し、映写機の音とミツバチのささやきを重ね合わせるなど監督独特の感覚が大きく動いている。ここで言いたいのは、もちろん主演の子役のアナは文句のつけどころがないほど素晴らしい芝居をしていたが、ここで言及したいのは父フェルナンドを演じるゴメスについてだ。彼は舞台出身の名優で、確か77年ベルリン映画祭主演男優賞受賞した「世捨て人」で印象的な芝居を見せていた。それと豆知識的に、本作に出てくる医師ミゲルを演じるのは監督のミゲル・ピカソである。

さて、物語は昔こんなことがあった、とこの映画は語り始める。1940年頃、スペイン中部のカスティーリャ高地の小さな村オユエロスに1台のトラックが入っていく。それは移動巡回映写のトラックで子供達は大はしゃぎだ。今日の映画は「フランケンシュタイン」。胸をときめかせて公民館に集まる子供や村人たちの中に幼いアナと姉のイザベルがいる。その頃、父のフェルナンドは養蜂場でいつものようにミツバチの巣箱を点検する作業をしている。ミツバチ達のささやきがいくつもいくつも重なって聞こえる。母のテレサは室内にこもって、内戦で荒れ果て変わり果てた家や人々の様子を手紙に書き綴っている。外国にいる兄弟か、あるいはかつての同志への手紙か、誰に宛ててともわからぬ手紙を、母は毎週のように自転車で駅に向かい、列車便に投函する。列車には、どこから来てどこに送られていくのか、疲れ切って固く重い表情に閉ざされた兵士たち。作業を終えたフェルナンドが取り出す懐中時計から流れるオルゴールの調べ。

公民館のスクリーンには、少女メアリーが怪物フランケンシュタインと水辺で出会うような美しいシーンが展開している。息を詰めて見入っている子供たち。やがて少女が怪物に殺されたと分かって、アナはイザベルにそっと聞く。なぜ、殺したの?映画が終わっても、フランケンシュタインごっこで興奮が冷めない子供たち。夜、再びなぜ殺したの?と聞くアナにイザベルは言う。あれは怪物ではなく精霊よ。本当はこの村のはずれの一軒家に隠れている。私はアナよ、と呼べば出てくると。書斎から眠れる父の足音と口笛が聞こえてくる。メーテルリンクの"蜜蜂の世界"の一節をノートに書き綴って眠りに落ち、明け方になって床に入るフェルナンド。眠れないでいるテレサの耳に汽車の音が響く。村の学校は9歳のイザベルも妹のアナも同じクラスだった。ルシア先生がドン・ホセと名付けた人形での事業。

学校帰りに、イザベルはアナを井戸のある一軒家に誘う。無人その家に精霊が住んでいると言うのだ。別の日に1人でそこに戻ってくるアナ。誰も答えないが、大きな足跡があった。夜、影遊びをしながら話し合う姉妹。アナにはわからない謎と秘密が増えるばかりだ。秋晴れの山へ、父が姉妹をキノコ採りに連れて行ってくれた。決して食べてはいけない毒キノコを父の足が踏み潰す。父が仕事で旅に出かけて、姉妹は小間使いのミラグロスをてこずらせてはしゃぐ。父の道具でヒゲを剃る真似をしたり、アナは母にそれとなく精霊のことを聞いてみたり、鉄道の線路で耳当てごっこをしてみたり。学校で詩の授業の後、アナは1人で井戸の家に行く。相変わらず誰も出てこない。その様子をイザベルがつけている。夕方。イザベルは黒猫と遊んでいる。母は1人ピアノで昔のメロディーを聴いている。

アナは父母のアルバムを見ている。母の家族の写真。若く美しい母。父は大学の総長らしい人と写った写真がある。父に宛てた母のポートレートには、私が愛する、人間嫌いさん…へとある。母がいつものように自転車で出かけた後、網の中のミツバチを見つめ、ささやきに耳を傾けるアナ。突然、イサベルが横たわったまま死んだように動かないのを発見する。救いを求めても、誰もいない。いきなり大きな手で口を塞がれた。イサベルのいたずらだった。火遊びをする子供たちを見ながら、アナは考えに沈んだままだ。夜更けに1人起き出して外に出るアナ。走る列車から兵士が1人と飛び降りて、井戸のある家に入っていく。幻覚け、実際に起こったことか、翌日アナが井戸のある家に行くと兵士がアナに拳銃を向けた。兵士は足を怪我していたが、きたのが子供とわかると優しかった。アナはお弁当のりんごを兵士にあげ、家から父のコートを兵士のために持ってくる。

ポケットに入っていたオルゴール時計で遊ぶ兵士とアナ。しかしその夜、井戸のある一軒家に銃火が響いた。翌朝、フェルナンドが村の警察に呼ばれる。オルゴール時計のせいだ。公民館に横たわった兵士の死骸に面通しをさせられる。家族4人の食事が終わって、フェルナンドは無言でオルゴール時計を鳴らす。アナにはそれで全てが分かった。井戸のある家に駆けつける彼女。家の中には兵士の血の跡が残っていた。追ってきた父を振り切って、アナはそのまま家に帰らなかった。夜になっても行方がわからないアナの失踪は、死んだような日常に陥っていた父母の目を覚ました。テレサは送りかけの手紙を火にくべる。その頃、森の中のアナの前に、映画で見た怪物とそっくりの精霊が姿を表していた。発見されたアナは家に戻ってからも昏睡状態が続いた。医師ミゲルはテレサに心配しないように、大事なのは生きていると言うことだと諭す。

しかしアナは、心配するイサベルが呼びかけても眠り続けたままだ。書斎で眠り込んだフェルナンドをテレサが優しく世話して、家中が眠りについた。深夜、1人で起き上がるアナ。昏睡から覚めたのか、ベッドを降りて、窓を開け、私はアナよとつぶやくと、煌々たる月明かりが生き物のように室内に入り込んだ。目を閉じるアナに、汽車の音が聞こえてくる…とがっつり説明するとこんな感じで、マドリード大学で政治学を専攻し、60年国立映画学校に入って、47年健立の国立映画研究所で勉強したエリセ監督の最初にして最高傑作である。エリセの世界観は内省的で瞑想的な静寂に浸されているところが非常に伝わる。時に情熱的でカラフルなイメージもあるが、ほとんどがそれらと対照的に地中海の光を表すような世界観が静かな感動を与えている。

基本的に情熱の国スペインと言う作品を見るにあたって、騒がしい作品が多かったりアルモドバルのようにパステルカラーを主に使った色の洪水が目立ったり、アレックス・デ・ラ・イグレシア監督の様に奇想天外で明快にストーリーを述べる作品とは違う。しかし、エリセは静かに物事を描く。パラジャーノフやタルコフスキーのような詩的イメージが積み込む時間枠がある。エリセは確か松尾芭蕉の奥の細道を愛読していると言っていたが、数年前に溝口健二の「近松物語」と「山椒大夫」のブルーレイボックスの中に収録された溝口のシンポジウムの特典DVDを見た際に、エリセ監督が来日していて、若い頃に軍の宿舎を抜けてレイトショーで映画を見たときに「山椒大夫」を見てものすごく感動したと言っていた。彼の作品は確かに芭蕉のように俳句的でもある。それに彼は古めかしいものが好きだなと言う印象がこの映画を見てわかる。セットから小道具までがノスタルジックに溢れている。
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