歪み真珠

山猫の歪み真珠のレビュー・感想・評価

山猫(1963年製作の映画)
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この奥行きのある映像はヴィスコンティの持ち味なんでしょうか?美味しいワインを飲んだときに「ふくよか」って表現をする、その感覚を画面全体から感じた。画面に厚みがある。
役者さんの彫りの深い顔立ちには物理的な奥行きがあった。ということで、木造家屋に住まい、純然たる顔平たい属の人々に囲まれて育った私は三時間、この映像をみつづけているとくらくらして、酔っぱらったような気分になってしまった。
最後の冗長な舞踏会まで、くらくらしながらも目をそらすことが出来なかった。何でもないようなどのシーンも見いってしまう魅力があった。ピクニックの映像も、まるで絵画を見ているかのように人物の配置がぴったりで、そんなものを作ってしまうなんて。いったいどれだけのものに美しさという命を吹き込むつもりなんだ。
できれば映画館でみたかったな、こんなふくよかな映像を。

クラウディア・カルディナーレもアラン・ドロンも美しいことには美しいのだけど、下品な美しさではないですか?天下のアラン・ドロンを前にして言うことなのかと思いますが、役柄なんかじゃなくて、彼らの本来の顔つきにオスとメスの美貌を感じる。ここで大切なのは、下品だからといって、決して洗練されていないわけではないということ。下品だけど洗練された動物的な美貌。
これが二人の魅力なのかしら。とくにクラウディア。指を噛んで話を聞く姿も、ヌードオレンジの唇を舐める姿も彼女自身が発光しているかのような、眩しい気分になった。

風。ふだん映画をみるとき、気にも止めないレースのカーテンがなびくのをじっと見つめてしまう。冒頭の家族が揃うシーンの部屋のカーテン。綺麗だったな。みんなの顔が緊張で強張るなか、呑気にゆらりんゆらりんカーテンが揺れて、光が気持ちよく射し込んでいた。
バート・ランカスターが語るシチリアの人々の生活にある死の気配がよかった。あまい、脳に響くほどあまいと評判のジェラートは緩慢な自死なのか。あぁはやくイタリアに住みたい、せめて旅行がしたい。葡萄酒色の海とよばれる地中海に肌を晒さなければ死ぬに死にきれない!ますますイタリアへの愛が募る!!

ながーい三時間だったけど、もっともっと長い間、一人の男の人生(サリーナ公爵)を何年間も見続けたような錯覚を起こした。たった三時間だけでその人となりがわかってしまった気がする。
振り返ってみるといい映画って、こんな感覚になることが多い。たったの二・三時間程度なのにそれ以上の膨大な時間を気持ちよくくぐり抜けてきたような気分。以前父に「映画は時間を消費するものだから」と非難めいた口調で言われたことがあるけれど、今なら違うって言えるよね。私はこれからも自分の限りある人生の時間を映画によってどしどし拡張していくことをやめないし、続けていくぞ。

未来ある若い二人と自ら身を引いた公爵の対比がずっと描かれていて、これは「ヴェニスに死す」と似ていた。どうすることも出来ない老いと、若さへの憧憬。ヴィスコンティのテーマなのかな。


これからヴィスコンティの映画をみるときは、毒は毒をもって制すの気持ちで、彼の映像で酔わないようにするために、物理的に酔っぱらっておこうかな!たとえば少し重めのぬるい赤を飲みながら見るとか!品種ならシラーがいい。昼間から赤ワイン飲みながら、ヴィスコンティよ。次はそうやって彼の映画をみることにした。こうご期待ください。
Buona giornata!