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上意討ち 拝領妻始末のALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

上意討ち 拝領妻始末(1967年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

小林正樹監督作品。橋本忍脚本の東宝映画。原作は、滝口康彦の『拝領妻始末』。監督、脚本、原作が同じ作品に松竹映画『切腹』がある。三船プロダクションが製作に名を連ねている。
享保年間、会津藩松平家家臣に笹原伊三郎と浅野帯刀という腕利きの剣客がいた。二人は旧知の仲であり、信頼しあう仲であった。とある日、笹原家に会津藩御側用人である高橋外記が直々に訪ねてくる。要件とは、伊三郎の息子、与五郎に藩主、正容の側室であったお市の方を妻に迎えよとのことであった。伊三郎は、この申し出を断り、叱責されるが、その父を不憫に思った与五郎は謹んで、縁談を受けることとなった。伊三郎の妻であり、与五郎の母であるすがは、殿の手のついた女を笹原家へ迎えることに反対していたが、それを押し切っての祝言。斯くしておいちは、拝領妻として笹原家に嫁ぐことになった。
そもそも、おいちは正容に見初められて半ば強引に側室にされ、彼の子、容貞を産んだが、産後の保養から帰城したところ、別の女が側室として迎え入れられていたことに激昂、乱心し、城を追い出される羽目になったとの噂を聞いていた。しかし、いち本人の口から語られる真実は異なり、彼女は帰城した際に会った女に悲しみや苦労が見えず、そのことに憎しみ、怒ったのだという。決して嫉妬ではなく、怒りだったのだと。おいちは器量良しで、本当によくできた妻だった。すがのいびりにもめげず、きちんと家事をこなす良妻だった。望まぬ縁談だったとはいえ、おいちの思わぬ良妻ぶりに伊三郎も与五郎も感心し、大いに喜んだ。やがては、とみと名付けられる女の子も授かり、笹原家は(すがを除いて)幸福の只中であった。しかし、その幸福も長くは続かなかった。松平家の世継ぎであった正甫が急死し、いちが産んだ容貞が世継ぎとなったのだ。会津藩は、時期藩主となる容貞の生母が、一介の家臣の妻であっては、示しがつかぬということで、笹原家にいちを会津藩の御奥へ返上するよう申付ける。藩の理不尽な仕打ちに納得がいかない伊三郎、与五郎父子は申付けを拒否し、徹底的戦うことを誓う。そして、そこに討手として上意討ちの藩命を受けた帯刀が、立ちはだかることになる。
この作品は原作を先に読んでいた。滝口康彦の『拝領妻始末』をベースに、ストーリー自体は原作とは違っている。まず原作では、上意討ちは行われない。上意討ちとは、藩が命令を出して特定の人物を討つことである。大抵の場合は罪人か、藩命に背いたものに対して、腕の立つ討手を用意して行なっていて、今回のケースは後者である。原作にはこの上意討ちの場面がないので、非常にあっさりとした、それでいてなんとも悲しい終わり方をしているが、映画である本作では、ドラマ的な盛り上がりからか決闘のシーンが用意されている。この脚色部分に別の原作があったりするのかは、滝口作品を全て読んでいるわけではないので、わからない。小林作品の特徴は武家の所作の美しさと殺陣シーンでの静と動、そして風の流れに尽きる。屋根からのアングル等、演出技術的なところも特筆すべき点として挙げられるが、それよりも映画そのものの形而上的な美しさに心打たれる。『切腹』も見応えのある作品だが、本作もまた、悲しくて美しい。武士道の理不尽に対し、戦いを挑む男たちの眼光の鋭さはこのキャスティングだからこそ光るものだと思う。しかしまあ、何人斬るんだというくらいに、三船敏郎演じる伊三郎は強い。
個人的な思いではあるが、伊三郎と与五郎が、屋敷に立てこもって来たる敵に備えている時に、ズームレンズで伊三郎の顔に寄ったあのショットが、とても気に食わなかった。元々、ズーム自体の安っぽさが嫌い(トラックアップは良いと思う)というのもあるが、あのズームはとても不細工で、作品の品質を損なうものであったように思う。あのワンショットが本当に気に食わなかった。あくまで個人的な感想。ズームがなぜ嫌いなのか、うまく説明できないので、また今度。
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