無給状態で受かるかどうか分からない株トレーダーの養成コースに通いながら子供を連れて、明日の寝る場所を毎日探しながら寝る間も惜しんで勉強して
やっとやっとやーーーっと報われたときに「ああ自分は幸福だ」なんて思えるんだろうか
こんだけ必死で生きて、俺が受からなきゃこの世界はおかしいと思ってしまいそうなところを感謝ができるところが違うんだろうなと
自分はこれだけ生きるのに必死になれてる?ととても考えさせられる
原題は題『The Pursuit of Happyness』らしく訳すと「幸福の追求」という意味で邦題よりも深みがある印象
Happinessの綴りはあえてyになっていて息子の託児所に書いてあった間違いと同じ