ぼのぼの

PASSIONのぼのぼののレビュー・感想・評価

PASSION(2008年製作の映画)
4.7
卒業制作でこのクオリティ?2年間お世話になった黒沢先生へのアンサーらしく、暴力についてのところは黒沢っぽさを感じたね😆

『寝ても覚めても』から『passion』まで順々に見ると、「濱口監督...ご立派になられて...!(大号泣)」と感動が止まらない。

最近の作品は、時間もたくさん取ってることもあって、緻密に丁寧にこれでもかと言葉を尽くして関係のズレを描いていくから、2時間で描く人物描写は物足りな〜い

この作品はちょっぴり荒削りで、まだまだバブちゃん👶🏻って感じだった。

“passion”の題名は、情熱も受難もあるけど、テーマとしては「受動(passive)」らしい。passiveが人間の行動の本質だと。所詮人間に許されているのは、「受け入れる」ことしかない。

「自分は自分が想像するほど潔白で誠実な人間じゃない」という事実からずっと逃げてきたのだけれど、この映画でそれを認めざるを得なくなって、苦しかった。

潔白で誠実とは何を指すかというと、言動の一致。

この映画はひたすらに言葉と行動が一致しない。登場人物全員に当てはまるけど、映画の中だけじゃない。人間は行動で簡単に言葉を裏切る。行動=能動=active、言葉=受動=passive?

ずっと一筋だと思っていたのに、行動の一つで変わってしまう。本能に近い肉体・身体が理性に近い言葉に対抗する。ゾクゾクした。

その言動の不一致が、自分の中の他者性に繋がっていくんでしょうね。

新作についても、「しゃべりまくってるんですよねぇ〜でへへ」とか言ってて、ウンウンもういっぱい喋っていいよ、気が済むまで喋りな?と見守ってました。

行きは埼京線で来たんだけど、帰りは新文芸坐からみんなについて池袋駅に行き、絶対に乗らない山手線に乗った。斜め前の男の子2人組が、「それが親密さなんだよ〜」って語り合ってて、私も彼らの会話を聞きながら余韻に浸ってた。山手線に乗るのも悪くないなぁ〜と思った初めての日。東京は相変わらず大嫌いだけれど。

ちなみに『親密さ』のほうがすき。
暴力についてここでは結論が出なかったけど、『親密さ』で本人なりの解釈を示すことはできてたんじゃないかな。


鬼テキトーに残した、濱口監督と映画批評家さんの上映後トークのメモ

初めての、濱口竜介と対面でニヤニヤしてましたえへ

5/7 passion at 新文芸坐

役名が全て下の名前?
なんでかな。青春物語、どこかトレンディー物語。登場人物たちが下の名前で呼び合っている関係。ト書きも全部下の名前。

それまでの3本は、あんまり役者さんと何か濃密にやりとりをして作ったものではない。それで結果的に何かを失った的な。

今回は、大まかな動線は提案するけど、基本的にはお任せでやっていった。結果的に役者さんとの関係はできあがった。passionに出た方は、未だに新作に出てもらったりする。

黒沢さんは細かく指示を決める。
濱口は、黒沢とは違う。キャラクターの感情の解像度。人間関係がわかって、その場を考えて、この空間を生きている。

黒沢清ファンでもなかった。自分とあまりに違うというのが大前提。自分とは関係がない人だろうと思っていた。一方、黒沢さんからこんな影響を受けるなんてって思うところもある。黒沢さんに見てほしいと思って、アンサー的なもの。私こういうもの作るようになりましたっていうアンサー。すごく違うけど、あなたに教えを受けてこんなようになりました。

猫の埋葬から始まる
横浜、藝大のキャンパスがある
動き出すのはパーティ。そこでの人間の処理。アップが多い。29歳の誕生日パーティ。
書いた時、濱口自身も29歳だった。
妄想の産物。あのパーティの撮影中、29歳を迎えた日。突き当たっていた人間関係の問題が反映されていた。

青春と結婚の境目が29歳、モラトリアムは終えなきゃいけない。溜め込んできたネタとか技術を総動員して、面白いものを作る。気持ちが昂っていた。

カラマーゾフの兄弟の類型を使っている。ジョンカサヴェテスのhusbandsとfacesを元に。構造をまず最初に作る。「こんなことあるかな?」一体どうすればこういうことはこの物語の中で真実になるのか。柱の中身を埋める。キャラクター同士を話させる。どういうキャラかは大まかな方向性だけ決まっている。

トモヤはどうしてああなったのか。「こういう感じだったっけ」って思いながら撮影
自分が書いた以上に軽薄に見えるな
自分が書いたものよりずっと力強いもの

人が本当に生きて、鮮明
こいつはこいつらしく、切実に軽薄

自分自身の問題と引き付けて演じていたのかも
走っているシーンが多い。言葉によって映画を作ってしまおうとしている、肉体的なものを求めていた。言葉を求めてしまっている、だから自由に動いてほしい。身体性。
大人と青春の境目

語られることが抽象的、映画のスケール→黒沢清的

暴力
自分のもの、他人のもの

自分がやめたらいい

自分は自分を受け入れる
彼女は自分の中に他人があることを隠したい

結婚して、手を切ろうとしたけど、でも結婚するとなったら、改めて

自分の中の他人とどう付き合っていくか

passion
情熱でもあるし、受難
受動⇄能動(action)
受動の話。我々意思がある、行動抑制をして生きれるけど、外側くる大きな力にどこまでも流される人たち、自分の意思はどこまで一線保てるものなのか試している映画

かほは自分の力でなんとかできる、自分で収めれば黙認して、維持していれば良い。子供たちと対峙することで、自分の中の他人性を見出す。

自分の言葉が自分の体を裏切る
言葉と行動を必要としていた

passionは迂闊な面白さ

キャリアを積み重ねると、上手くなっていくし、隠していく