ツクヨミ

奇跡のツクヨミのレビュー・感想・評価

奇跡(1954年製作の映画)
2.5
キリスト教宗派違いを正すかのように現れた"奇跡"。
農家を経営しているボーオン一家。彼らは慎ましく楽しい日々を過ごしているが、一つ悩みの種があった…
カール・テオドア・ドライヤー監督作品。特集"奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション"にて鑑賞、ドライヤー作品としては"裁かるゝジャンヌ"と同じく今作も信心深いキリスト教徒を描いた作品だ。しかし"裁かるゝジャンヌ"とは違い今作は頑ななまでの長回しを多様したのが突出している。
ドライヤー監督は"裁かるゝジャンヌ"でクローズアップを多様し登場人物の表情をじっくりと映した。それに対し今作はクローズアップは成りを潜め、カットという編集をできるだけ廃し登場人物の行動をじっくりと映すことに注視していく。そしてできるだけカットを割らずにズームイン・アウトやパンを使い分けキレイなショットに持っていくカメラワークも今作の持ち味の一つだろう。カットを割らないということはゆったりとした内容を撮るのに適している、ドライヤー監督自身が「私は長回しの力というものを愛しています」と形容したのも納得の編集だ。
そして今作は宗教による信仰について考えさせられる作品になっている。我々日本人にとっては馴染みが薄いキリスト教の信仰だが、キリスト教を国教とする国の人々は信仰心がかなり強いということを痛感させられた。全ての国民がキリスト教を真に信じているわけではないだろうが、キリスト教文化が国に浸透しているといろいろな物事がキリスト教ありきで考えられていく。結婚一つとってもお互いの家でキリスト教の宗派が違えば結婚させなかったり、信心深すぎ説教ばかり垂れる人を精神疾患扱いしたりとキリスト教によって生まれた弊害を今作は描いていくのだ。
そしてそんなキリスト教弊害問題を解決できるのは一種の"奇跡"と呼ばれるもの他ならない。キリスト教を信じる者たちの信仰心の根底には聖人が起こす奇跡というミラクルがある。それはいつの時代の信者をも魅了し心を穏やかにする恩恵があったのだ。今作のラストシーンで語られる奇跡もそういった効果があると思うし、多少はファンタジックであっても理解できるようなストーリーの運びになっていてキレイな終わり方だとは感じた。
カットが消失し長回しを多様していくようになったドライヤー監督だったが、キリスト教を信じる者を映す信念は変わらないし、登場人物をゆっくり見つめるカメラワークは変わらない。それが監督の作家性たるものかもしれない。
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