奇跡の作品情報・感想・評価

「奇跡」に投稿された感想・評価

AS

ASの感想・評価

4.6
所持DVD再鑑賞。クリティカルエディション版。
非現実から現実を通過させ、超現実としての説得力を備えさせてしまうドライヤーの真骨頂。懸念分子であった三兄弟が一瞬にして僥倖を得、宗派を越えて心が融解するさまに嗚咽する
hardeight

hardeightの感想・評価

4.6
シームレスに左右にパンする長回しのキャメラは室内のアクションをそこに交流する人々のエモーションとして沸き立たせ、止まっていた時計の針が動き出すラストシークエンスにおいて棺桶が瞳を獲得する奇跡によって生を称揚する!
チィ

チィの感想・評価

-
ちょー古い。白黒だった。キリスト教の話。ヨハネスという人が、自分はキリストだと思ってて、みんなに頭がおかしいと思われてる。でも、彼の兄の妻が死んで、彼女を生き返らせた。奇跡が起こった、という話。
ミリ

ミリの感想・評価

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信仰度のマウントの取り合い、家族への受難が辛くてぐったりするのだけど素晴らしいです。
神学を学ぶあまり乱心し、自らをイエスキリストと名乗る男がほんとに起こしちゃった奇跡。それはそれは固唾を飲んで見ていたシーンのニットセーター姿での登場に申し訳ないけどめちゃ笑った。
2020年最後に観た映画。
原作は現役の牧師が書いた戯曲。とのこと。
お国柄かもしれないが宗教色というのはどうしても強い。
だが、「親の代の禍根は子とは関係ない」的な普遍的思想をこの時代に描いた点では結構先進的なんかな。
あの結末に関しては……正直そうなるように外堀を固めつつも「いやでも、さすがにそれはないだろう」と言うこっちの固定観念という隙を突いた見事な演出と言っていい。それと同時に、反則技でもあった。

画作りに関してはハッキリ言って今年観た映画の中でもトップクラスに美しく、そしてよくできている。
室内劇的な狭い空間と、背の高い葦が茂る水辺や丘、どれもこれも美しい。
Kuuta

Kuutaの感想・評価

4.3
逆「ゴドーを待ちながら」

面白い!演劇と映画の良いとこどり。元ネタの演劇からよく出来ているんだと思う。粗いですが気付いた限りの色々。

キャラの色分けが明快だ。
・父モーテン
次男を預言者として覚醒させようとして失敗。自分の信仰不足が原因と感じており、神や奇跡を信じられなくなっている
・長男ミケル
最初から無神論者
・次男ヨハネス
牧師を目指して勉強するも、キルケゴールなんかかじったばかりに精神崩壊。自分をキリストと信じる精神異常者に
・三男アーナス
宗派の違う恋人との結婚を望む板挟み状態
・恋人の父親
別の宗派の束ね役。地主のモーテンと対立する、庶民的な仕立て屋
・ミケルの妻インガ
妊娠中。無償の愛、全員の母的なポジション

「神の不在」を「見せない」事で描いた映画は数あれど、信仰がぐらついている家のど真ん中に自称キリストがいてギスギスしているというのは斬新。

正直コントにしか見えない場面も。
事情を知らない新任の牧師の自宅訪問シーン。「我は石工」と切り出し、聖書の言葉を連発するヨハネス。牧師が「今どきそんな奇跡ないですよw」とツッコむと「そんなんだからまた磔にされるんだ」といじけて自室に引きこもる。聖⭐︎おにいさんみたいだと思った。
辛い事が重なって弱っている父の前で説教を始め、父がキレる場面も笑った。

ただ、あんまり馬鹿にできないのが、まさにキリストが身体性を伴って「同一空間にいる」という効果だ。

そもそも演劇の映画化ということもあり、アメリカのホームドラマみたいな室内劇をベースとしている。基本的にカットを割らず、人の立ち位置が入れ替わったり、カメラが横移動やパンしたり。

演者の肉体性が強調されつつ、目線のすれ違いや空間的な断絶が丁寧に描かれている。ヨハネスが後半失踪すると、本当に神がいなくなった感じがするのは、彼の身体性があってこそ。

演劇は人がステージに立つ効果を突き詰めるが、今作はそこにカメラの移動とフレーミング、ドアで移動する編集といった映画的な力を加えて、閉じた空間を創出しているとも言える。生の曖昧さから抜け出したかのような、死んだ時のシンメトリーが印象的だった。

父親や長男は、目線や身体がフレーム内に閉じ込められるどん詰まりの状態。ヨハネスは、フレーム外の神へと目を向けることができる。要は小津?

家の周りには、洗濯物の揺らぎなどの映画的な運動や、声だけ聞こえる豚や犬、風の音など、目に見えない存在が示唆されており、神の気配を積み重ねている。外が急に白く光る場面は「冬の光」を思い出した。

(洗濯物もヨハネスの失踪に合わせて消える。家事をやっていたインガが意識を失っているから、洗濯する人がいなくなった=インガの献身は神を呼び寄せる一因)

ドアが似たような自宅のセットやシーンを繋ぐ。代わり映えしない現実から抜け出すには、ドアを放棄せねばならず、唯一ドアによる移動を拒否し、窓から意識を飛ばせるのもヨハネス。

「誰も信じてくれない」といじけるヨハネスをどう元気付けるか、という視点で見ていたが、恐らくポイントは長男の娘。彼女が話しかける場面で、背中を向けていたヨハネスの周りをカメラがぐるっと回り、目線の向きが入れ替わる。すると、次のシーンでインガが助かる。
ラストの奇跡も、白い光を顔に浴び、フレーム外へ視線を向けるのは娘の役割だった。

異なる宗派や、科学と宗教、地主と庶民の相入れなさをラストの奇跡が全部乗り越えていく(抽象化されたあの部屋は何なのか。壁が白すぎる)。最初に異変に気付くのが医者なのも面白い。

ラストショット。インガの肉体的な存在感が強烈。彼女を見るミケルに対し、奇跡を経験したインガの目線はやはりフレームの外に向けられる。時計の針の音が再開されて神が帰ってくる。86点。
nasty

nastyの感想・評価

3.5

このレビューはネタバレを含みます

1925年のデンマークを舞台にした映画。
大地主の一家を中心に、仕立て屋との対立を描いている。
対立は宗教上の相違。
地主の息子は自称キリストの再来。誰も相手にしていないが。
宗教がテーマで前半はやや退屈であったが、後半興味深く観れた。
ボロ泣きした。形だけの信仰、言葉だけの祈り。宗教はとてつもなく長い世紀を重ねた結果、神への心からの信仰は殆ど無くなり、形式ばかりが残った。言葉では奇跡を祈るも、心の底ではそんなことは現実には起こらないと、信仰とは心の底から神の存在を信じることだろうに、現代科学に侵され無意識の中で奇跡など非現実の出来事だと、変に悟ってしまっているような、信仰とは真逆のシステム的な形式が出来上がってしまった。そこにはもはや宗教全盛期のような心のこもった信仰の姿は無い。抜け殻のようになってしまった信仰。もし現代にキリストやブッダが人の姿をして現れ「奇跡は起こる」と言ったとしても、無神論者は勿論、信者までもが信じずに狂人扱いするような悲しい事態が本当に起りかねない。信仰が信仰たるものではなくなり、只の形式だけのになってしまったら、それはもはや宗教とも信仰とも言えない。それは形骸化した只のルーティンワークでしかない(魔女狩りもここから派生したのだと思う)。もしそのような単なる気休めであれば、宗教にこだわる必要はなく、宗教でなくとも、他の作業や他の行為、他の反復運動でもまかなえるはずだ。真に宗教に身を置くとはどういうことか、真に神を信仰するとはどういうことか、厳格な長回しの連続で奏でる崇高な映像芸術が説く。文化や宗教観は違えど、心に響いてくるものが凄まじく、ラストは涙が止まらなかった。
デンマーク映画の巨匠カール・テオドア・ドライヤーの代表作品。静謐で荘厳なショットの連続は同じく北欧のベルイマン作品とは相違が見られるものの、肝心の宗教観は大分異なるのではないか。なんらかの理論で説明できない"奇跡"に向かっていくストーリーは神話さながらである。そもそも奇跡とはかくあるべきなのかもしれない。
ycagwyw

ycagwywの感想・評価

4.5
ジャスティン・ビーバーの「Holy」を聴いてたらこの映画のDVDを所持してることを思い出し、おそらく7〜8年ぶりに観た。最近はアマゾンやネトフリでお手軽エンタメ映画ばかり見ていたから、なんだか言葉も出ません。正直言って採点不能な域です。
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