ふくちゃん

BIUTIFUL ビューティフルのふくちゃんのレビュー・感想・評価

BIUTIFUL ビューティフル(2010年製作の映画)
4.7
この映画、主人公が報われないとか、人生の厳しさを表しているとか、それでも懸命に生きていく大切さを伝えているとか、残酷で不幸なシーンだが美しかったと言った的外れか、見たままを意味ありげに言ってるだけのレビューが多いので、これを言わずにはいられません。

↓以下ネタバレ含みます。

劇中、ウズバルを含む全ての登場人物による利己的で損得に従った行為は報われません。これは、それらの行為を嫌悪感や残酷な帰結によって否定することで本当に伝えたいことを浮かび上がらせるための技法です。そのため、その“技法としてのシーン“に感想を言う意味はなく「美しい」と表現できる要素もありません。
分類や形式(構成や役者)を追う事よりも「自分達は何を試されているのか」と言う視点を持つ事の方が、思考実験的映画を理解する上ではるかに重要な意味を持ちます。

ウズバルは死者達の声を聞くことができます。そんな彼にとって死者とは死後もコミュニケーションが可能でそれ故に忘れ得ぬ存在です。一方でウズバルはそのような能力がない人たちが、いかに死者を簡単に忘れていくのかを知っています。ウズバルが娘に「自分を忘れないで欲しい」と切に願うのはその能力ゆえです。

作中では物質やお金は本質的に何も解決せず誰も満たすことはありません。金•欲望・損得にこだわる登場人物たちの中でそれ以外の価値観を示したのがウズバルの娘でした。(ウズバルが妻に贈った宝石が偽物である事を知りながら「綺麗だ」と言いました)この損得によらない価値観から生まれる審美眼を持った娘だからこそ、ウズバルが彼女に残した“モノ”がより輝きます。

父が死んだ後、ウズバルの娘は、Buitifulと言うスペルが間違っていた事に気づくでしょう。これはウズバルにとっての“救済”となります。脳機能科学では、人は失敗した時に最も事柄を記憶すると言われています。Buitifulと言う言葉と父の記憶は彼女の中でひとつになるはずです。そして、彼女はその後の人生において何かを“buitiful”と感じる時にはいつでも父のことを思い出すでしょう。ウズバルの願いは彼が意図しなかった形で叶えられる事になります。ウズバルの顔にbuitifulの文字が並ぶスペイン版ポスターはこのメッセージを暗示していると感じます。

「真のアートは人に深く“キズ”を残し忘れられなくする」と言う言葉を聞いたことがあります。この映画は残酷なシーンによって記憶されるべきではなく、「大切な人に忘れられない贈り物をする事の素晴らしさ」と言う“キズ”を見る者に刻んだことによって記憶されるべきだと思います。