葛西ロボ

隠された記憶の葛西ロボのネタバレレビュー・内容・結末

隠された記憶(2005年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

 自分の家や実家が何時間も撮影されただけのビデオが不気味な絵とともに送り付けられてくる。意図はまったくわからず、家族に危害が及ぶのではないかと、ただただ不安だけが募っていく。登場人物だけでなく、見ている側も監督の手のひらの上で踊らされているような気分になる映画。
 呼び起こされる記憶と、自己正当化で繕った罪悪感。霞みがかった事実を無理に見透かそうとするよりも、表出される感情を読み取るべき映画なのだろうが、あえて犯人を挙げるなら、それは監督というほかにない。
 ビデオカメラが見えないのは、それが映画を撮っているカメラだからである。映画の中の人間はその超虚構性に気がつかなければ、自分たちを映すそのカメラを意識することはできない。製作者は撮った映像をビデオテープという小道具の形で映画の中に送り込み、登場人物がそれを手にする。あとは各々が勝手に振り回されてドラマが始まるというわけだ。
 だいたい主人公にしてもアパートの親子にしても脅す・脅さないの問答ばかり続くのがおかしい。お互いに真実を解き明かす気があるのなら、もっとビデオテープとそれを撮ったカメラ自体に言及するべきだ。そして、それをしないのは彼らの意志ではなく、もはや製作者の意志であり、この映画は製作者の思うがままに論点をすり替えられてしまっているのだ。汚い。さすがハネケ汚い。
 そしてすり替えられた論点はフランスの抱える移民問題。アラブ人に対して見え隠れする差別意識。自宅が撮られているだけの映像は、フランス人がアラブ人からの視線をそのやましさから含みのあるものとして意識していることの暗示。一方的に疑われてマジッドは自らの首を裂いたが、現実ではジョルジュが返り討ちにされてもおかしくないし、そうなったら報復のし合いですよ。
 子ども同士が仲良く?しているラストはむしろ救いみたいなもので、下の世代まで持ち込まないでくれっていう願いみたいなものだと解釈しました。本当にそうなるといいけど。
 感情の上澄みをすくうだけではなく、奥底に沈殿しているものを浮かび上がらせる監督の作風自体は(何度も見たいとは思わないけど)好きなので、(あまり乗り気にはならないけど)他の作品も見つけ次第(なるべく余裕のある時に)見ようと思います。