この世を観た、、。
弱い人って決して強い人に頼ろうとしない。強い人を避けてもっと弱い人にすがったり甘えようとするものだ。
これが弱者に対する社会だと、思う。
みんながセルマに優しい。優しいのに、誰一人彼女を救ってあげられない。
あの中に誰か一人でも、力のある、物事を正しい目で見る人がいれば、こんな事にはならないんじゃないか。
あの親子をきちんと見て、気づいて、力を貸してあげられる、働き口なり事実の証明なり、何かしらセルマに、未来の希望を、生きていく自信を与えられる人がいたら。
親切で誠実な人は素晴らしいけれど、そういう人は強く賢くないと油断したらすぐ利用される。
とってもいい子よねと言われている生き方をしていてはダメだと、大人になるにつれ思う。
セルマは本当に強くて美しいひとだったけれど、この世の中で生きていくにはあまりにも弱すぎてもう、あんまりだ。
芸術は孤独のためにある。孤独から生まれると思うし、孤独を救ってくれる。
でも芸術に救いを求めすぎると、もっと孤独になるよね。
セルマの周りには優しい人達がいっぱいいたのに、その手を取っちゃいけない、自分は一人で頑張らなければ、迷惑をかけず、人を喜ばせてあげなければと思ってる節があって、そういう孤独に、
どんどん芸術の妄想にのめり込んで行くのが何だか覚えがあって、苦しかった。
あれは彼女が生まれ持った孤独だ。視力を必ず失っていくという宿命と共に背負ってきた孤独。誰が理解できるか。
親もない、学もない、お金もないセルマは持てる限りを尽くして生きてきた。呪いのように生まれ持った孤独を、恐怖を、誰に打ち明けられるもんか。
自分の弱さを、絶望を、構わず放出して
「自分は可哀想なんだ」と助けを乞うだけの弱さ、または強さの無い彼女を、私はただただ、美しいと思う。
鬱映画、救いのない映画と謳われがちだけれど、息子さんの手術が成功したこと、それだけは救いがあった。どうしてもやり遂げたかったことを、セルマはやり抜いたんだと思えて良かった。
「どうして生んだの?」
「赤ちゃんを 抱っこしてみたかったの」
一度しか観てないのに頭に焼き付いて離れない