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愛と死をみつめてのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

愛と死をみつめて(1964年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

浪人生の誠は入院した病院で道子と知り合い、お互いを意識するようになる。しかし誠が大学に入学して2年目、久々に再会したふたりだったが、道子の病状は思わしくなく、やがて彼女の病気が軟骨肉腫という難病であることがわかる。ふたりは文通を続けながら、お互いの思いを確かめあっていくのだが…。

実在の恋人同士の書簡集を原作に、吉永小百合と浜田光夫の青春コンビで映画化した大ヒット作。
不治の病に冒されながらも、ひたむきに生きる女性の姿が、公開当時、日本中の涙を誘った純愛映画の秀作。
子どもの頃から噂に聞こえていた、あまりにも有名な話だけに今まで見ていなかった。恥ずかしながら初鑑賞。

筋書き自体は非常にシンプル。
難病の女性の恋となれば、最初から結末は見えているようなものだ。
しかし、実話の重みというか、お互いをマコ、ミコと呼び合う仲のプライベート感、恋人との他愛のない会話、病の床で書く文通の手紙や日記に書かれた想い、入院生活で他の患者と触れ合うエピソードなど…、劇中には、とんでもないリアリズムが溢れていた。

そのリアリズムの中で、際立って美しく、溌剌として、恋人を一途に想う、まるで「夢の女性像」のような吉永小百合が、次第に病に侵されてゆく「美人薄明」ぶりが悲しい。

それにしても、この年齢の女性が顔半分を失っても生きる道を選ぶのは、あまりに酷な選択だ。
それでもミコは悲観することなく、マコとの会話を楽しんだり、同部屋の老女や身寄りのない老人の世話をする気丈な姿が健気。
それだけにミコに隠れて涙を流す父親の気持ちが痛い。
そして彼女を一方的に「バケモノ」と罵る情緒不安定な患者には怒りを覚える。

若者同士の恋が、あまりに純粋である分、迫り来る死の影が余計に重苦しく、その悲劇性はますばかり。
病状が重くなっていることを悟られまいとしたり、健康な日が3日間だけ欲しいと願う場面に胸が痛むが、単に悲観的に描かれているのではなく、他の患者の優しさや恋人の言葉に、幾度も生きる気力を取り戻すところが良い。
弱気になるヒロインに喝を入れるマコ役の浜田光夫は、いちいち正論で本作では逞しく見える。

顔半分を切除されたヒロインの姿は、若く美しい吉永小百合だけに余計に痛々しい。
死が近くなり、やつれゆく表情で虚空を見つめる瞳には、鬼気迫るものがあり圧倒される。

ミコの臨終の場にはマコはいない。
家族はあえて知らせなかったのだろう。
その思い遣りもまた、悲しい。

丁寧な言葉で綴られたミコの手紙や手記の独白をクローズアップするところや、笠智衆や宇野重吉らの泣かせる演技もあり、現代人には泣かせにかかるクサい演出と見えるかもしれない。

好きな女性が重い病気を抱える純愛映画としては、後年の映画のように美しく悲しい思い出とするのではなく、お互いに本音を曝け出す姿が痛々しいが、より感情移入しやすく、感動できるものとなっている。
あまりに重苦しく悲しい作品ゆえに、何度も見る気持ちには中々なれないが、愛する者が死に至る時、どうすべきか、どう心の準備をしてゆくべきか、学ぶことが多い作品。
「ある愛の詩」よりも6年先駆けて公開された、流石の難病純愛ものの礎である。
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