何度も覗きたくなる万華鏡のような。
映画における、キャラクターたちのお喋り「小咄」の効用を発見したタランティーノは、映画全体のストーリーと小咄とを自在に組み合わせ、アクロバティックな着地を披露してみせた。オリンピック記録ばりの。まだこのエンディングを超える技は編み出されていない。
小咄はキャラクターを説明し、映画のテーマを重層化させる。
たとえばギャングのボスの妻をマッサージする件。
任務までの時間つぶしだった小咄は、トラボルタの章のひな型のなって悪い予感の通低音になる。
さらにボスは別の章で過剰なマッサージを受けることに。
映画がおわったあと、ぼくはひとりごちる。
足のマッサージはどこまでセクシャルなものになるのだろう。こうして映画は観客の実人生につづいていく。
ところで、タランティーノは足の指フェチだ。