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ダーティハリー3のFancyDressのレビュー・感想・評価

ダーティハリー3(1976年製作の映画)
3.5
原題「The Enforcer」を訳すと、執行者 。
元々の脚本は「Moving Target」(訳すと、「時間と共に要求は変わる」)というタイトルで、オークランド高校の卒業生2人が書いた脚本だった。
それを元に、ドン・シーゲル監督の「殺人捜査線」やノーマン・ジュイソン監督の「夜の大捜査線」の脚本を書いた、スターリング・シリファントが書き直し、最終的にディーン・リーズナーがリライトを繰り返した。監督には、イーストウッド作品の助監督出身のジェームズ・ファーゴ(後に、「ダーティファイター」の監督もしている。)が抜擢された。

さて、本作だが、“人民革命軍団”なるテロリスト集団(テロリスト集団といっても、要求はお金だけで、政治的な革命集団ではない。パトリシア・ハースト誘拐事件で有名なシンバイオニーズ解放軍をモデルにしている。)を相手にハリー・キャラハンが立ち向かうというスジだが、第1作目と第2作目にあった、“法とは?正義とは?”というテーマが、この第3作目には、ほぼ無いといってもよい。 
第1作や2作目には、法で裁けない悪、または、法に護られている権力、権力の暴走 といったような一筋縄ではいかない善悪の矛盾というテーマをはっきりと提示して見せていた。

しかし、この第3作目の悪党たちは、テロリスト集団というグループに属した金目当てのちんけなチンピラ(この集団のリーダーは、ベトナム戦争帰還兵というバックボーンを持つが、同じくベトナム戦争帰還兵というバックボーンを持つ第1作目のサソリのような狂気が全くない。 この集団もリーダーも、ただのチンピラ風情にしか見えないのだ。)の集まりに過ぎず、ただの模範的な悪なのである。

つまり、本作は、正義と悪という図式がハッキリし過ぎてしまっているのだ。  

ハリー・キャラハンというキャラクターもドン・シーゲルとイーストウッドが生み出した第一作目の、あのハードボイルドであり、また、なんともいいがたい、あの虚無感に満ちていて、なおかつ、無情な感じが、第2作目以降には、全くない(ダーティハリーをシリーズ化するためには、ハリー・キャラハンから毒牙を抜かなければならなかったのだろうか。)。

これでは、やはり、ダーティハリーでない。ただ、第2作目より、この第3作目の方が、よっぽど映画としてはうまく機能している。
つまり、ダーティハリーという冠を取っ払い、ただの刑事物B級映画として見たら、本作は、面白い。90数分という上映時間も良い。

中盤で、テロリスト集団の黒人の男が爆弾騒ぎを起こし、ハリー・キャラハンに追跡される(途中、天窓を突き破り、ポルノ映画を撮影中の現場のベッドに墜ちてくる爆弾犯とハリーというシーンもあり、見ていて楽しい。)。

走って走って走る、この追跡劇のバックに流れるジェリー・フィールディングのファンキーでクールなジャズが映像を引き立てる。
この、走って走って走って、追いかけっこするこの感覚こそ映画だなと、私は、ニヤニヤしながら見た。

第2作目が退屈なのは、カーアクションやバイクチェイスのシーンはあるが、人間が走るシーンがないからだ。

やはり、この人間同士が走るというのが、まさに映画的で良いのだ。

本作は、ダーティハリーシリーズにおいて、唯一、ラロ・シフリンではなく、ジェリー・フィールディング(77年のイーストウッド監督作「ガントレット」での、ジャジーなジャズが印象的だった。)が音楽を担当した作品でもある。

ジェリー・フィールディングは本作の他にも、76年の「アウトロー」、77年の「ガントレット」とイーストウッド監督作品の音楽を担当したが、1980年に惜しくも58才という若さで他界している。

とにかく、本作は、普通に面白い活劇でした。
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