Jeffrey

ザ・ハリケーンのJeffreyのレビュー・感想・評価

ザ・ハリケーン(1999年製作の映画)
4.0
「ザ・ハリケーン」

〜最初に一言、Bob Dylanのザ・ハリケーンで物語の様相が一瞬にしてわかる序盤から中盤の葛藤とクライマックスの感動がたまらなく素晴らしい傑作である。正にジュイソン監督の集大成であり、ポワチェの「夜の大捜査線」でスタイガーがオスカーを受賞し、本作にも出演していたが、まさにあの作品を彷仏とさせるような白と黒の戦いが描かれている〜

冒頭、1人の天才ボクサー。黒人であるが故に、冤罪で投獄された。殺人罪、人種偏見、裁判、終身刑、宣告、釈放運動、運命的な出会い、青年との文通、誇り高きチャンピオン、自伝。今、闘志を胸に連邦裁判所と言うリングで行われる最後の勝負に挑む決意をする…本作はノーマン・ジュイソンが製作と監督を務め、デンゼル・ワシントンが主演を務めた実際に起きた事件と人物を描いた人間ドラマで、この度BDにて再鑑賞したが面白い1999年のアメリカ合衆国の伝記映画にして、黒人差別に基づく冤罪事件である「ルービン・カーター事件」を題材とし、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたワシントンは、惜しくも「アメリカン・ビューティー」のケヴィン・スペイシーにとられてしまった。ただゴールデングローブ賞、ベルリンの銀熊賞は受賞している。脇役でリーヴ・シュレイバーが古本屋でカーターの自伝を手にしたレズラに、本を読む人を選ぶこともあると貴重なアドバイスを与えるサム役で出ているのがなんとも新鮮である。彼と言えば学園ホラー映画「スクリーム」シリーズに出演していたり、メル・ギブソン主演の「身代金」の悪者役を演じていて私個人すごく好きな役者である。

さて、物語は1963年、ウェルター級チャンピオンのエミール・グリフィスをワンラウンドでリングに沈め、栄光を手にしたルービン・ハリケーン・カーターだが、3年後彼の運命は一変する。故郷ニュージャージー州のパターソンで、3人の男女が殺された事件が勃発。容疑者として逮捕された彼は、人種偏見を持つペスカ刑事の息のかかった裁判の結果、有罪判決を受け、終身刑を宣告されたのだ。その日から、カーターの孤独な戦いが始まった。自分は無罪だからと囚人服の着用を拒み、黙々と自伝の執筆を続ける日々。74年、ついに出版された自伝は大きな反響を呼び、Bob Dylan、モハメッドありなどが釈放運動に尽力。しかし、2年後に行われた再審で再度有罪判決を受けた彼は、次第に世間から忘れられた存在になっていく。

自分は一生、塀の外に出られない。再審請求を却下されて絶望にかられた彼は、献身的に釈放運動を支えてきた妻メイ・セルマとも離婚し、自分と社会のつながりを完全に断ち切る事にする。レズラ・マーティンが古本市で買ったの自伝を見つけたのは、まさにそんな時のことだった。環境保護のバイトを通じて出会ったカナダ人のグループに引き取られ、トロントで暮らす彼は、アルコール依存症の両親のもとで過ごした自分の生い立ちと、11歳から少年院で暮らしたカーターの生い立ちに、多くの共通点を発見。逆境にあっても気高さを失わないカーターの生き様に心打たれ、その思いを手紙に連ねてカーターに送った。驚いたことに、すぐさまカーターから返事が来た。こうして始まった2人の文通。その交流を、レズラの保護者であるテリー、リサ、サムは暖かな目で見守っていたが、次第に彼らの胸には、自分たちもカーターの力になりたいと言う気持ちが芽生えていく。

4人の励ましを受け、再び再審請求に動き出すカーター。しかし、それが却下された時、彼にとっては、テリーたちの優しさが重荷にしか感じられなくなった。これが最後の手紙だと言って音信を絶った彼は、再びレズラと出会う前の孤独な生活に舞い戻って行く。1年後、高校卒業したらレズラは、感謝の気持ちを込めて、卒業証書と恋人の写真をカーターに送った。それに応じるようにかかってきた一本の電話。もう耐えられない。カーターの声に切迫した様子をききとったリサは、これが彼を助ける最後のチャンスだと直感する。テリー、サム、レズラとともにニュージャージーに引っ越し、再審に必要な証拠集めに奔走する。写真をめぐる証言の食い違い、改竄された電話の記録。免罪を裏付ける証拠は山のように見つかった。

しかし、同じ州の裁判所では公式な裁きが得られる見込みは薄い。もはやこれに負ければ後がないと言う状況の中、彼は、思い切って最後の戦いの場を連邦裁判所に求めた。果たして、彼の再審は認められるのか?サロキン判事が裁判長席に迎えた法廷の幕が上がる…とがっつり説明するとこんな感じで、無実のチャンピオン・ボクサーがたどった、勝利への30年を見事に描いた傑作である。1冊の本が少年の人生を変え、彼の送った1通の手紙が、絶望のどん底にあった男の心に希望の光をともした。このような感動的なドラマに、Bob Dylanのヒット曲"ハリケーン"を通じて生きる伝説となった主人公ルービン・ハリケーン・カーターは、キャリアの絶頂期に殺人罪に問われ、人種偏見の入り混じった裁判によって終身刑を宣告された不世出のボクサーである。

その彼が獄中で書いた自伝に心揺さぶれ、釈放を求める運動に立ち上がった少年レズラとその家族が、塀の中と外、ニュージャージーとトロント、距離を大きく隔てながらも不思議な運命の糸で結ばれた2人の、文通を通じて絆を作り出し、偏見の歴史を塗り替えるムーブメントを徐々に起こしていく、そんな素晴らしい展開が待ち受ける何かを成し遂げた奇跡の実話の映画化である。親子ほどの歳の離れた2人の関係は、古本市で本を1冊手に取ってから始まるのである。わずか25セントで購入したその本に強い共感を覚えた少年が、溢れる想いを手紙に託しカーターに送る。それは10数年にわたる刑務所暮らしの中で、誰かを信じ、自由を夢見ることを放棄してきた彼の心に、一筋の希望の光を投げかけると言うテーマが輝いている。こうして始まった2人の交流は、やがて少年の面倒を見るカナダ人グループを巻き込んだ釈放運動に展開していく。


いゃ〜、相変わらずデンゼル・ワシントンの迫力が凄まじい。それにしてもなかなか複雑な心境だろう。自分を終身刑の罠に陥れた白人に対する憎しみと、自分を本気で救ってれようとする人々(白人含む)に寄せる信頼は何とも言えない。二つの思いの狭間で葛藤する主人公の内面を、的確に捉え、心理的な芝居は圧倒的である。やはりこのような芝居をさせたら光一だなデンゼル・ワシントンと言う役者は…。それにファイトシーンの肉体演技も仕上げてきていて、プロ感が凄まじい。正しく心身ともにルービンカーターになりきった入魂の役作りを見せるワシントンは、これで2度目のオスカーにノミネートされた。この時代アフリカンアメリカンきっての大スターだっただろうな。今思えばノーマン・ジェイソン監督(本作の監督)の「ソルジャー・ストーリー」でワシントンは演技派の地位を確立していた。

本作はわずか12分間で、もちろん冒頭の数分間はモノクロ映像で過去の栄光を映し、そこから彼を殺人鬼にさせる警察とのやりとりを映し出し、そこから一気に物語は7年後に移り変わり、本屋で彼の執筆した本を手にするまでの過程があるのだが、そこも非常に差別的である。まず白人の男性(お客さん)が少年が取ろうとした本を先に取って、中身をパラパラと読んだ後、すぐに捨てるように置く。そしてその少年がそれを手にし、レジに向かって買おうとする、25セントと言う女性スタッフ。黒人の書いた本は=ものすごく安いと言うイメージ、先程の男の客が黒人の本だからと直ぐに手放すと言う意味合いをそのシーンからも感じられる。しかし、それはただ単にボクシングの本に興味がないからとも言えるだろうし、古本で価値がないためこの金額の提示だったと言うことも言える。そして所々にモノクロの実際の資料映像が映し出されていく。

独房に入れられたワシントンが、1人何役かで子供だったりいろんな人との会話をする気狂いぶりもすごかったし、その後に囚人が着るパジャマだったらいいと言うまでの会話とかもかなり良かった。しかもワシントンのナレーションてたまらなく耳心地が良い。それと後ほど詳しく語るが、Bob Dylanの音楽が随所に流れたり、モハメド・アリのインタビューなどすごく貴重だ。Bob Dylanの実際のモノクロ映像まで流れるから(live)。1時間10分が過ぎた頃に、少年がハリケーンに会いに行く場面で、違う面会の黒人女性がうちの息子の名前がないけどと言う場面で、今日は独房入りだから面会は禁止だと言う場面が結構ショックである。あの女性の表情が何とも言えない…。そしてカーターと少年が初めて出会うショットは印象的だ。そして、少年とカーターが撮影カメラマンに息子と父親と勘違いされ写真撮影するシーンも感動的である。

この徐々に外の関係を深く築き上げ、カーターが徐々にもろくなり、外へと出たくなる様子が映し出されるのは本当に胸が痛くなる。そしてこの少年がすごくいい人で、自分のガールフレンドと写っている写真や、卒業証書を送ってあげたりマジで泣かせる。この外界への憧れの復活は、非常にきつい。しかもカナダから刑務所がある所まで引っ越ししてくる始末だからこの家族…釈放を勝ち取るまで動かないと言う言葉は電話越しに非常に彼に勇気を付けた事だろう。そしてあの感動的なクライマックスは最高である。それにしても当時ワシントンは多分40代を過ぎていたと思うが、主人公を20代から50代にわたって演じているのもまた驚きの1つだ。

そしてルービンも20代でウェルター級のチャンピオンの栄光を勝ちとりつつも、殺人の汚名を着せられ終身刑を申し渡される不運な人生であることも、何もかもが普通では無いような気がする。圧倒的なカリスマ性とはカーターのような人物に使える言葉だと思う。そんな彼をワシントンが完璧なまでに演じていたのだから、ワシントンの前ではごまかしと言う小細工は一切通用しない。冒頭のファイト・シーンからあっけにとられてしまう。どういったダイエット食に徹底したのか、色々と気になるところではある。徹底的に訓練された体型は美しいの一言。あの褐色の肌が汗で輝きを放つ瞬間のなんと言うエロさ、たまらない。実際にワシントンのトレーナーは、彼がもう少し若ければ、プロのボクサーとしてリングに立てただろうと言っているそうだ。


しかも今思えば同時に、アンジェリーナ・ジョリーと共演したサスペンス映画「ボーンコレクター」では、四肢麻痺に陥っている捜査官役だったため、ベッドにずっと寝ていたのだから、それと比較すれば全く以て別人である。彼が言うには、体を動かせること、汗をかくことの快感を改めて味わって、多い時は8時間もジムに行ったとインタビューで答えていた。妨害に屈せず、何の見返りも求めずに戦い続ける彼らの勇気に触れた主人公が、かけがえのない友情と誇り高きチャンピオンの闘士を胸に、連邦裁判所というリングで行われる人生最後の勝負に挑もうと決意する下りはなんとも心燃える。カーターから人生を学ぶ少年と、彼に心の自由を与えるカーター。

信頼の絆で結ばれた2人のふれあいを細やかに見つめてドラマは、免罪立証するスリルをはらんでダイナミックに展開している。その途上で、無償の愛の尊さに目覚めた主人公が、怒りや憎しみから解放されていく姿が、大きな感動を呼ぶ…と当時話題になっていた。優れた人間ドラマであると同時に、人種偏見に運命を左右された男の人生を見つめた実録ドラマであり、また法廷サスペンスの醍醐味も備えた本作の魅力を、余すところなく引き出した監督には拍手喝采だ。臨場感を醸し出す気骨の演出が素晴らしいし、監督はすでにこの時点で30数年に及ぶキャリアで、本作が集大成として言えるのではなかろうか。

この法廷サスペンス的な感じは、ケヴィン・ベーコン、ゲイリー・オールドマン主演の「告発」のダン・ゴードンが共同で脚本執筆しているから何となくわかる。どうやら主演を務めたデンゼル・ワシントンは、企画がスタートした6年前からカーター役を切望し、1年の準備期間でボクサーの体を作りやあげたそうだ。過去にも、実在の人物を演じた「マルコムX」と「遠い夜明け」でオスカー候補に上がった彼が、数十年に及ぶカーターの数奇な半生を力演した本作では、一段とカリスマ性を帯びた演技派ぶりを発揮している。2度目のオスカー候補に上がったほか、ゴールデングローブ賞、ベルリン映画祭の主演男優賞受賞しているのは周知の通りだ。ちなみに彼が2度目のオスカー受賞になったのは「トレーニング・デイ」の2001年のことである。

この時は主演女優賞も黒人のハル・ベリーが「チョコレート」で受賞している。個人的にこの映画では、判事長役のロッド・スタイガーが出演しているのが結構豪華だなと思う。彼と言えばシドニー・ポワチエと共演した「夜の大捜査線」の芝居でオスカーを手にしている。ほとんどクライマックスに出てくる分、特別出演と言う感じだが、印象的だった。切磋琢磨した演技力、カリスマ性と権威があり、ワシントンの魅力が爆発している映画と言える。その数年後に彼が2度目のオスカーを受賞する事は、もはやこの映画を見てわかるだろう。オスカーを手の中に収める日は近いと…。

当時この映画が公開された時に、アメリカの週刊誌のニューズウィークの最新号に、死刑囚が作られる時と言う記事があったそうだが、その中には、1976年以降、イリノイ州では12人の死刑が執行されたが、一方で13人の死刑囚が無罪方面になった。北米では過去10年間、DNA鑑定によって69人の死刑囚の無実が証明されたと書かれていて、かなり驚いたと言う映画評論家がいたそうだ。そうするとノーマン・ジェイソン監督の本作は、無実の罪がいかに作られ、無実がどのように証明されるかと言う物語であることがまずわかるし、奈落の底で、自分と戦い、自由を取り戻すために戦う人間の記憶としても見れる。そして実話だけに手ごたえは重く、厳粛な感銘にひきいられるのだ。

この映画を見ると、陪審員が全員白人であるところがまずツッコミどころ満載だし(ロドニーキング事件を思い出す)、というか、そもそもきっとこのボクサーが殺人を犯していないだろうと思っている刑事って必ずいると思うんだ。そういう人ってどういう風に思っているのかすごく知りたい。中には絶対にこいつがやったと信じ込むようなステレオタイプの人間もいると思うが、きちんとした証拠も見つからず、ただ単に事件を解決するためにでっち上げる容疑者をこれはでっち上げだと思っている警官って、その時の心境はどういうものなのだろうか、気になるところだ。そもそも本作の主人公のカーターは少年時代から何の罪科もないのに少年院送りにされているし、黒人に悪意を持つ刑事の差金であること、さらに黒人軽視の風土、事件に関する者たちの保護のせいでこーゆー理不尽な事柄になってしまったと言うのだからなんと言えない気持ちになる。

この映画の画期的なところもしくは面白いところと言うのは、重層的な構造に作られていて、人種差別、時代の移り変わり、アメリカの正義と言う3拍子がうまく順番に展開されている点だ。人間の運命と人間性に対する洞察が本作にはある。こういった問題を手がけた監督のリベラル的な思想はこの時点、この時代では非常に良かった。ただ今のリベラル層の映画作家などは一方的なスタンスで物事を見ている分、嫌気がさしてくる。この映画は、自分的には、勇気づけられる映画だなと思う。総合的にはかなり高評価を与えたい。これがアメリカの現実なんだろう、痛切な現実味を帯びてくる本作のクライマックスの余韻もまた堪らないのだ。それからやはりBob Dylanの音楽で、事件の経緯を詳細に理解できるような効果的な使い方もまた素晴らしく、出来事がフラッシュバックで映されるシーンなど画期的である。しかもこの音楽がまた長くて8分34秒もあるのだ。

リズムを刻むアコースティックギターに始まり、やがてドラムがビートを打ち、そこに印象的なバイオリンの切ない音色が絡み合い、イントロが終わるとディランのボーカルで冒頭の歌詞が流れだすこの"ハリケーン"と言う音楽は、この映画を見た途端にiTunesですぐにダウンロードしたことを思い出す。なんと映画に合っていて、物語に引き込まれる音楽だ。最高の導入部分である。彼は、カーターから送られてきた彼の自伝"16ラウンド"を読んで事件のことを知り、75年6月にトレントン州刑務所を訪問し獄中の彼と面会したそうだ。その時にディランはハリケーンと僕は、精神的に同じ場所で生まれたと思った。彼は素晴らしい男であり、今まであった中で最も正直な人間だ。あらゆる意味で完璧な市民だ。僕は彼を兄弟のように愛している。

彼が獄中に入るのはおかしい。今すぐ、釈放されるべきだ…と語ったそうだ。カーターの無実と、裁判がデタラメであることを確信したディランは、直ちにハリケーンを作り、同年11月にシングル発売した。当時、ローリングサンダーレビューと言うコンサートツアーを展開していたディランは、アメリカ各地のステージでハリケーンを歌った。また、75年12月6日にはツアーの一行とニュージャージー州クリントン矯正施設を訪れ、カーターを含む収容者たちの前でコンサートを行い、翌7日にはニューヨークのマディソン・スクエアガーデンで、モハメド・アリなどと多くの有名人を集めて救済を目的とするチャリティーコンサート"ハリケーンナイト1"も開いたそうだ。こうした歌のヒットと多くの人を巻き込んだ救済活動により、カーターの再審が決定し、仮釈放されるに至ったそうだ。

ただし、残念ながら再審でも有罪判決は変わらなかった。それでも1曲の歌が世論を動かし、事件を再検討させた事実に変わりは無いとの事だ。彼が歌ったハリケーンのヒットから25年後に作られたこの映画のサウンドトラック盤には、The Roots、コモン、モス・デフをフィーチャーしたハリケーン(ディランの作品とは同盟異曲)を始め、当時ヒットしたヒップホップ系もしくはR&B系のアーティストの新曲やカバー曲が収録されている。この映画1本見るだけで、アーティストとバラエティー豊かな音楽を楽しめるサウンドトラック盤も必見である。それとオリジナルスコアも聞いてほしい。長々とレビューしたが、この作品をまだ見ていない方はぜひともお勧めする。素晴らしい映画である。
Jeffrey

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