デニロ

沓掛時次郎 遊侠一匹のデニロのネタバレレビュー・内容・結末

沓掛時次郎 遊侠一匹(1966年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

1966年製作公開。原作長谷川伸。脚色鈴木尚之 、掛札昌裕。監督加藤泰。大昔、一度観た記憶があるのでどこだったかなと調べてみると、明大/駿台祭だった。

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脚本がしっかりしていて、美男美女の役者を配せば、加藤泰監督特有の仰角で撮ろうがクロースアップが多かろうが気にはなりません。いや、本作は中村錦之助と池内淳子のクロースアップにこころを打たれます。

若い頃の中村錦之助の姿かたちの美しさには羨望の眼差しでしかないが、その美しい姿所作にも勝るのは声だ。凛と澄み切って淀みのない確信が伝わってくる。本作では、東千代之介との恨みのない殺し合いに至る啖呵の切り方に双方の苦渋が垣間見えて、ふたりの背景を知っている観客は苦しくて仕方がない。そして、傷ついた千代之介が妻子を託す場面の錦之助の凛とした態度が、その後の錦之助の自責の念をこれも観客は先に知ってしまうので、この先の錦之助の行状を思いやるのです。

池内淳子は、わたしの中ではテレビ女優で視聴率20%女優と呼ばれていた女王様だったのですが、その魅力はちっともわかりませんでした。が、ここ数年彼女の出演している映画作品の旧作を観てその美しさに平伏します。その美しさというのはエロス、セクシーというものではなく、セクシュアリティーが屹立しているとでもいうのでしょうか、神聖な山を遠くに見やりなかなか辿り着かないその姿を追い続ける感覚です。

そんな美を持つふたりですもの、こころを通わせていく画面から情念が迸り、それが製作部、演出部、撮影部の予想を超えたものになってしまうのは、至極当然だったのかもしれない。

熟した柿。ふたつに割った櫛。舞い散る雪。ひとり宿場で何もかも喪ってしまった如くの抜け殻の繰り言。計算を度外視、情に体を張る喧嘩出入。もはやわたしの気持ちは書けません。

あ、渥美清。冒頭で中村錦之助を和ませたり困らせたり。錦之助の世捨て人たる所以、やくざってぇのはねぇ、虫けらみたいなもんさ、とこころ許して言える相手でもあった。この台詞はラストでもまた使われる。それは錦之助を狙い名を上げようとする若者に対する説諭であった。
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