きゃんちょめ

こころのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

こころ(1955年製作の映画)
5.0

【『こころ』という作品はマジでヤバい。】

大逆事件(1911年、明治44年)と『こころ』は同じ構造が鏡に映って逆立ちしている。大逆事件は天皇を暗殺しようとして失敗して死ぬ話であり、『こころ』は天皇に殉じる話である。

漱石は『こころ』で本当は大逆事件を描きたかった。しかし描けば大逆罪で死刑であるから、絶対書けない。絶対書けないから、全く逆の話を描いたのだ。大逆事件の逆を大きく書いたのである。

漱石は、大逆事件について『こころ』というタイトルで書いていることを隠すために、先生の自殺の原因を、明治天皇崩御にともなう殉死としたのではないか。なぜなら、バレたら大逆罪で死刑だからである。

「乃木坂46」というグループがあるが、「乃木坂」には「乃木神社」があり、その乃木神社には乃木希典とその妻の銅像があり、その上に乃木邸がある。乃木希典は乃木邸で切腹した。

新渡戸稲造(1862-1933)と森鴎外(1862-1922)は、陸軍大将の乃木希典の切腹を絶賛している。逆に、志賀直哉(1883-1971)と芥川龍之介(1892-1927)は乃木希典の切腹を批判している。

人間は乃木希典の自殺、つまり、他人の自殺を直接の原因として自分の自殺を決めたりはしないのではないか。はっきり言ってしまおう。先生は自殺するきっかけなんてなんでもよかったのだ。というか、乃木希典自身が、西南戦争の時点からずっと、死に場所を探していたのであり、天皇の崩御は自殺のきっかけに過ぎなかった。乃木希典だって天皇の崩御の前から、とにかく死にたがっていたのである。

そもそも、乃木希典は明治政府方である。先生は明治政府方の人物の自殺を受けて死んだりはしない。少なくとも死ぬ口実になった程度だろう。

夏目漱石はメンタリティ的には旧幕府方であり、涙を呑んで明治政府のやり方に皮相上滑りしていくような苦渋の作家である。

漱石はずっと明治維新に反対派(涙ながらに賛成派)だった。漱石の小説では、いい奴はみんな旧幕府方である。

先生(=漱石)は恋愛に負けたのではない。戊辰戦争で負けたのだ。先生の出身地は越後長岡藩である。

その夏目漱石の分身が先生だ、という理屈をとるならば、先生は明治政府方ではない。

乃木希典だって事情は同じはずだ。乃木希典の息子は203高地で死んだ。乃木は自分の子供を突撃させたときから死のうと思っていたはずである。

乃木だって先生だって、自殺の理由なんてどうでもよかった。ちょうど明治天皇が崩御したんで、ようやくこれで死ねると思ったのだ。そういうシナリオの方がずっとリアリティがある。ずっと死にたかったのだ。

「私は先生にどこかで会ったことがある」と『こころ』の冒頭に2回もある。先生は過去の罪を犯していない無垢な自分に会ったのだ。それでようやく死ねると思ったのである。「私」を教育することで罪を滅ぼせるからだ。ではその罪とは何か。

漱石は石川啄木の死を聞いた時から死なねばならないと思っていたはずだ。先生はKを裏切ったことを悔いて自殺した。Kは石川啄木である、と考えることができる。漱石は石川啄木の最後の評論を朝日新聞に載せてやらなかったのである。ではその評論とはなにか。大逆事件を、石川啄木の視点で書いた文章である。

Kとは誰なのか。Kは設定上、寺の息子で、途中で名前が変わったという。Kの正体は「寺の息子で途中で名前が変わった」石川啄木であると考えることができる。石川啄木の初めの名前は工藤一でありこのイニシャルはKだ。

石川啄木と言えば明治43年(1910年)24名が死刑になった大逆事件である。そのうち19名は天皇暗殺に直接関わっていなかったのにもかかわらず、死刑になった。要するにこれは言論弾圧である。

明治政府の中心派閥は旧佐幕派のキャリアパスをとことん封じていた。旧佐幕派はほとんど潰したんで、明治政府がその次に目を付けた反権力の思想家たちが、アナーキストだった。

Kとはだれなのか。Kの正体は、本当に通説であるところの幸徳秋水だろうか。

大逆事件で死んだのが幸徳秋水。その先生が土佐の中江兆民。その先生が坂本龍馬。その先生が勝海舟。その勝海舟の夢は①日本に大統領制を輸入すること、②自由民権運動、そして③倒幕であった。

この系譜は反権力の思想である。反権力の系譜の末裔である幸徳秋水が不当に殺されたのが大逆事件だった。反権力思想が殺されてみんな絶望したのである。永井荷風はそうやって表現の自由が奪われた大逆事件による絶望について『花火』で書いている。

それで、「こうなったら戦争でも起きてくればいいのに」と旧佐幕派のみんなが思った。その戦争によって、いまの薩長閥の明治政府方の政権独占体制をぶっ壊そうとしたのだ。こいつらが陸軍経路で実権を握っていったのだ。つまり、旧佐幕派連中こそが第二次大戦中に指揮をとった軍人たちの祖先だった。

というのも、1928年に山形有朋が死に陸軍の長州閥がなくなり田中儀一が死ぬ。ここから明治レジームが壊れ満州事変以来の石原莞爾、永田鉄山、板垣征四郎、東条英機などスイスのバーデンバーデンの密約組の若手将校が流れ込んでくる。この陸軍人たちはまさしく旧幕府軍側(旗本、会津藩、庄内藩、松平藩、岩手藩など)である。

実際、戦犯を免れた石原莞爾は東京裁判のときに参考人招致されて薩長閥の明治政府体制を戦争によってぶち壊したことを高らかに笑ったという。

さて、大逆事件の三年後、『こころ』は1914年大正3年の作品だ。漱石は47歳で、しかも2年後に死ぬのだ。当然、大逆事件について書くはずである。しかもその直前に石川啄木は『時代閉塞の状況』という論文で大逆事件がでっちあげだと批判している。

先生はずっと死のうと思っていたらしい。漱石もずっと死のうと思っていたに違いない。西部邁もずっと死のうと思っていたに違いない。三島由紀夫もそうだ。

本当に先生は明治の精神に殉じたのだろうか。むしろ漱石は、先生もろとも、涙を呑んで、先生に象徴させた旧幕府方の古いメンタリティを優しく、手厚く、泣きながら、葬り去ったのである。

そもそも、坊ちゃんとはどういう話だったか。東京理科大卒の主人公が松山の中学に行って生徒にいじめられ、赤シャツという西洋かぶれの先生とぶつかってヤマアラシという先生と一緒に闘ってまた東京に戻る話である。

坊ちゃんの家は零落した旗本の家だった。下女の清(漱石の妻の名前は鏡子)は維新で没落した家の人である。ヤマアラシは会津出身。それに対して、悪役コンビの野ダイコは江戸っ子で赤シャツは帝大卒で帝国文学から引用ばっかりしている。帝国大学とか、明治政府方っぽいやつは悪役である。

つまり『坊ちゃん』とは戊辰戦争のことである。坊ちゃんが相談する荻野夫妻は旧幕臣側である。

坊ちゃんは主体性のない人間であり、こいつのこの主体性の無さが日本を第二次世界大戦へとなし崩し的になだれ込ませた。先ほども言ったように、旧幕臣勢力というのは、第二次世界大戦の主要軍人たちの系譜なのである。

つまり、陸奥=出羽=越後(おおうえつ)列藩同盟は味方で明治政府(精神的な植民地化に痛みを感じない人々)が悪役なのだ。

坊ちゃんは1905年に20歳だから、第二次世界大戦が終わるときに60歳であり、東京オリンピック(1964)のときに80歳である。

坊ちゃんとはすなわち戦争へとなだれ込んで行った近代日本人の象徴であり、坊ちゃんのような男が第二次大戦を引き起こしたのだ。坊ちゃんとは、石原莞爾である。

私は思う。夏目漱石ほど左右に引き裂かれた作家はいない。このバランス感覚はただものではない。

私は個人的に、「バランス」という言葉が大好きだ。夏目漱石はなんとかこの日本近代の股裂き状態を調停しようとしていた。

森鴎外はそうじゃない。あいつは調停など結局諦めて形式主義へと行ったように思う。

夏目漱石は、「漢文と英文をどうやったらメランジェできるか」みたいなマジで面白すぎるかっこいい文学論を初期には書いていたように、日本の精神的植民地化に対して痛みを感じながら、それでも涙を呑んで西洋化・文明開化・近代化へと上滑りしていくような作家であったように思う。

なぜなら、ローカルなだけじゃただのバカだからである。ただ、漱石はあくまでも「これまでの日本なんか全部クソだからやめちまってこれからは西洋じゃ!!!」みたいな急進的な考え方を嫌った。

なぜなら、急進的なグローバル化は、人間がどんどんバカになっていくだけだし、なにより、自尊心と知的基礎がないやつは世界にでてもどうせ評価なんかされないからだ。そんなやつは国際人でもなんでもねえ。

英語とフランス語を話せる武士にならねえといけねえんだ。西洋化の極端をイギリス留学中に悟り、かといって前時代の遺物と化した古い良心、(すなわち先生!)を、泣きながら手厚く葬り去るようなレクイエムを書いている。それが『こころ』だ。

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