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天安門、恋人たちの中のレビュー・感想・評価

天安門、恋人たち(2006年製作の映画)
5.0
ユー・ホンの葛藤は、若者が普遍的に抱えている漠然とした「無力感」として現代の日本人にも現れてると思う。
俺はユー・ホンと同じ世界におるって感じた。

激動する社会の中で慌しく行き交う人々を前にして、ユー・ホンは自分の居場所を見失っていく。
あてどもない「焦燥感」を煽られてユー・ホンが心のバランスを崩すのは既定路線やった気がする。

ユー・ホンは表面的には飽き性でセックス依存症で承認欲求の強い女にみえた。
それは欲望に対する実直さゆえの言動であって、好き勝手に軽やかに生きてる割にはセルフィッシュにみえへんかった。
ユー・ホンの内心には重苦しい何かが巣喰ってて、その呪いがユー・ホンを悩ましてるようにみえた。

ユー・ホンをみてるとすべてが「流動的」やと感じた。
同じ街で暮らし続けることはないし同じ人と関わり続けることもない。
だからといって人間関係が希薄なわけではなくて、むしろ強い繋がりを欲してるように思ったし、刹那的な絆が揺るぎない確かなものとして存在してた。

ユー・ホンは過去や未来よりも現在を志向してたんやと思う。
その感覚は身体を通して相手に触れるときに強く現れる。
強い愛があるからこそ相手の今、身体を求めるけど、そうすればするほど孤独感を募らせることになる。
自分と相手はひとつになり得へん、理解し合えへん存在やと感じて不安定になっていく。
刹那的な関係は強く相手を感じられけどそれだけじゃしんどいよな。
しんどいからみんな自然と家族になる。
家族みたいな長期的に安定した関係は未来を明確にして孤独感を和らげてくれるから。

孤独に対する認識、の向き合い方の問題なんかもな。
俺は誰かを好きになる、愛するほどに、知りたくなる。
すべてを知りたくなるけど、その人は変わり続けるし自分自身ですらすべて知ってるわけじゃないから、それはどうしたって不可能。
だからその知らへん部分に対して他者感というか孤独を感じる。こんなにも愛してるのに。
でも、人間はどうしたって孤独にしか生きられへんのやから、知らへん部分も含めて好きって感じる俺の気持ちが愛おしくもなる。

再会のシーン胸が苦しかったな。
今更会ってもどうしようもないってなんとなく分かってても会いたくて、堕ちきった今でしか会えへんかったのが切なくて、過去の思い出を媒介として熱を再現させることもできひんくて、、、
それでもちゃんと過去にできたんやから会う意味はあったよ。
良い悪いとかじゃなく、後悔とか恨みもなく、かといってよろこびや感謝で満たされてるわけじゃなくて、ただお互いに存在してた事実があることを、そのままに受け入れることができたんや。

過去の自分が今の自分を構成してるけど連続した同一人物じゃない感じがした。
今の自分を構成する要素には君が含まれてて、たとえ今どうしようもなくても大丈夫。
過去の君は確かに自分の中で輝いてる。
再会から別れの一連は虚しく映ってたけど、無念な孤独というより、健康的な諦めを感じた。

感想ぐちゃぐちゃや。
人生のフェーズが変わったらまた観たい。


ユー・ホンの日記
「今日、アルバムをめぐり、チョウ・ウェイの写真を見た。私の心は激しく高鳴り、嬉しさと悲しさがこみあげた。写真を見ながら、自分に問う。この晴れやかで堂々としたうそ偽りのない顔に疑う余地などあるかと。彼が私に何を言っても、何をしても私の気持ちが彼から離れたことはない。表面的には。始終、彼を求めたが、彼の奴隷ではない。時には、彼より賢い時もあった。過去の思い出は涙を誘い。耐える決心をさせる。
人間は孤独を求め、死に憧れる。でなければなぜ愛する人を傷つけるのか。目の前の物には無関心で、遠くの物を追い求めるのか。」

中国人留学生の感想
「故郷や親元を遠く離れ、その世代の最良の精神たちが小さな学生寮に集まり、初めて自由を享受する。自由の果てにあるのは、幸福の儚さであり、自己の崩壊であり、意味の欠如である。(中略)そのような混乱と不安に抗うため、彼女は欲望に溺れるが、愛と死への衝動、根深い劣等感とナルシシズム、そして耐え難い孤独が、すべて最後のカオスへと導く。」
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