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ワーニャ伯父さんのkyoyababaのレビュー・感想・評価

ワーニャ伯父さん(1971年製作の映画)
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50年代以降、本国ロシア以外も含めて複数の映像化が為されているが、コンチャロフスキーの作品である本作が最も秀でた映画であると感じた。

チェーホフの原作を約100分という比較的観やすい尺に収めながらも肝要なプロットは崩さず、映画化するにあたり多少の割愛を──それはМосфильм側の商業的圧力による妥協であったのかもしれぬが──見せ、されど、人間本位の環境・生態系の破壊と”如何なる絶望的な状況下でも人間は生きねばならぬのだ”という主たるテーマを通底させるような演出の努力が垣間見られた。

戯曲の映像化は往々にして冗長で再生産的になり兼ねないなか、映画ならではの手法、すなわち巧みなカメラワークと陰影、鏡や窓ガラスへの反射を用いた叙情描写、特に役者たちの白眉な演技──それは登場人物の緊張とともに鼓動を弱め、最終的には完全に停止してしまう螺子巻き式時計によって象徴される──が”映画的”カタルシスを鑑賞者に植え付ける。

特筆すべく、エレーナ・アンドレーエヴナを演じたIrina Miroshnichenko(彼女は、不自由ない豊かな田園生活にも関わらず内面的慨歎を抱える役どころにしては美人すぎるようにも感じたが)の寂寥感を湛えた表情や、マリヤ・ヴァシーリエヴナを演じたIrina Anisimovaの”些事に捉われず争いを眺める様──第一幕と第四幕での紙巻き煙草を悠然と味わう老婆の佇まいの堂々たるはみめよい──”は演劇の舞台上では味わえますまい。

「あたしたちは生きのび、運命が与える試練に耐えて(中略)、ゆっくり休みましょうね(小野理子訳 『ワーニャおじさん』 岩波文庫、2001年)」を、テレーギンのギターとともに終えるラストシーンは、ロシアの自然の過酷さを唐突に現し、そして劇中でも触れられる都会の下層階級の悲惨な病状をアヴァンギャルド=ジャズとオーケストラの融合とともに魅せるイントロを喚起させる《конец》の文字には、嗟歎の100分を感じられた。
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