(記録用)行きずりの女と殺人犯の逃避行。
あの殺された女性はクソ女に見えるけど、それはこの映画の中で主人公が捉えた彼女のたった一面でしかない。彼女を心から愛するご両親もいたしネ。
それと同じ様に主人公も、(結論としては人殺しを犯した為悪人ではあるものの)世間の「人間の行いじゃあないよ」というような、人格否定的な決め付け、捉え方もまた、主人公について人づてに聞いた噂の一面しか捉えていない結果の『悪人』というレッテルなのだなァ。
(あのクソ大学生もその様に、クソの一面しか見ていないからクソのレッテルを貼られているのだ。クソだけど)
祐一は、光代との逃避行で多分初めて将来の事とか生きる事とかを考えたんだろうね。二人が惹かれ合ったのは、二人ともこれまでの人生の中で、どこか心に寂しさを抱えていたから。
それがちょうど良く埋め合える存在(人を求めている&人に求められたい)
なおかつ特殊な状況がその感情を一層強くしたんだろうね。逃避行運命共同体、みたいな。
ラストの祐一のあの行いは、多分、光代を被害者という枠で社会的に庇ったのではないか(と思いたい。ほぼ願望ですが)
灯台の下で光代が駆けて来る姿を見付けた祐一のあの表情からしても、愛情は芽生えていたのかも。
とにかく生きるのに不器用だなァ!と思ったよ。見てて居た堪れない。
『誰が悪人なのか』、というより人が決められる『悪人』は刑罰的な法による枠組みの中でしか無くて、本質的な悪人は本人の自覚でしか成り立たないのかもしれない。どれだけ他人が指をさしてもそれは当人の全体を捉えているとは限らないもんね。
その点、祐一は終盤自身の行いについて後悔を吐露していたように、光代と出会ったことで本当の『悪人』になったのかもしれない。
ラストシーンはエモ。