Jeffrey

誰も知らないのJeffreyのレビュー・感想・評価

誰も知らない(2004年製作の映画)
3.5
「誰も知らない」

冒頭、とある秋から夏にかけて。都内の二DKのアパートで大好きな母親と幸せに暮らす四人の兄妹。父は皆別々、学校不登校、ネグレクト、母の不在、僅かな現金と短いメモ、コンビニの定員、万引、女子学生。今、彼らの漂流生活が始まる…本作は平成十六年に是枝裕和が製作総指揮、監督、制作、脚本、編集を務めた柳楽優弥主演でカンヌ国際映画祭主演男優賞受賞したヒューマンドラマを久々にBDを購入して再鑑賞したが胸くそ悪い。キネマ旬報ベストテンでは一位に輝き、他の映画祭でも色々と賞を総なめにした本作は、昭和六十三年に発生した巣鴨子供置き去り事件を題材にし、是枝裕和監督が十五年の構想の末に映像化した作品で、母の音信不通、蒸発した後に、過酷な状況下を長男の姿を通じ、描いた作風で、タイトルが皮肉り過ぎてて笑える一本だ。

この作品でとあるバラエティー番組を見た是枝が、YOUがいかにも育児放棄しそうな風貌していたためチョイスしたと言っているが、これ結構失礼な話である。今思えばどういう巡り合わせか親子を演じた柳楽と彼女は後にダイハツ工業"ミラ"のCMで母と子として再共演をしていたな。〇四年のカンヌ映画祭の審査委員長を務めたタランティーノは柳楽優弥の表情が最後まで印象的だったと言って、結局日本原作のパク・チャヌク監督の韓国映画「オールド・ボーイ」がグランプリを受賞し、パルムドール賞に輝いたのはマイケル・ムーア監督の「華氏911」だった。そういえば主演男優賞はアジア人(日本)の柳楽で主演女優もアジア人(香港)のマギー・チャンが受賞したと言うのも忘れがたい。


本作は既に八十九年に脚本が作られ、その後何度も手が加えられ、着想から十五年の月日を経て完成させた作風であり、それまでに様々な育児放棄(ネグレクト)の問題も毎日のように取り沙汰されるようになってきた今日に至って観客にかなりの衝撃を与えたと思われる。現代的なテーマを持ちながらも、いつの時代にも共通する普遍的な子供たちの内面世界を是枝の得意とする少年の眼差しから描写している。この映画四季がある為、撮影は季節ごとに抑えられて編集し、そのたびに次の季節の構造練ると言う作業で行われていると思うのだが、そうすると激しいアクション映画でもなく淡々としたドラマを描くように相当丹念な時間をかけていることがわかる。そうした中、演技経験のない子供たちをオーディションで集めたと思われる子供たちのリアルな成長が刻まれていてドキュメンタリー的手法を劇映画に取り入れた二つの境界線を違和感なく融合させている点は評価できる。

しかしながらバラエティー番組などで活躍中のYOUが映画初出演を果たしているのだが、確かに存在感があり強い印象残すが、やはりそれは独特なものであり、海外的にはどう受け取られたのかが非常に興味深い。日本人であり彼女のことを知っていればあー言う体質的に、日本のネグレクトする母親でこういったのほほんとした女性もいるだろうと言うのはわかるが(喋り方や温度差で)しかしながら海外では彼女のことをどうこの映画を通して見れたのだろうかという疑問も一つはある。基本海外でネグレクト=暴力も混じると思うのだが、この作品に至っては子供たちに暴力(精神的な暴力と言う便利な言葉を使えばそうなるのかもしれない)はせず、不定期にきちんとお金も渡している母親であり、しかしながら子供には無関心で、愛情注いでいるようには思えない。何もかもがずれた特殊な母親像である。

この作品は冒頭からスーツケースを持っている少年の描写で始まるのだが、この時点でこの少年がどれほど生きるか死ぬかの過酷な生活をしているかと言うのは前情報なしにはわからないだろう。しかしながら泥が爪の中にめり込んだ手のショットが映し出された時、おのずと観客は不穏な空気を飲むだろう。そして柳楽優弥演じる明くんの目線はキアロスタミ映画の子供たちの中に見る目線であり、あんなに自然な演技が出来るのも監督の導き、一年半も子供たちとお付き合いして徹底的に自然な役者に育てあげたことがうかがえる。そういえばこの作品は黒柳徹子が非常に絶賛していたなぁ。彼女自身ユニセフ親善大使としてアフリカや他の国で出会う苦しみの中にある子供たちや大人たちを見ている分、なかなかしんどいものもあっただろう。女優と歌手をしている小泉今日子や歌手のCHARAも絶賛していた記憶がある。それと海外ではアトム・エゴヤンもかなり衝撃を受けたそうだ。前置きはこの辺にして物語を説明したいと思う。


本作は冒頭に、電車に乗っている子供が写し出される。彼はボロボロの服を着て、大事そうにピンク色のアタッシュケースを手にしている。カメラは少年の表情にクローズアップする。そして車窓から夜景が写し出されタイトルロールが現れる。画面は一度フェイドアウトし、少年の横顔が映し出され、母親が引っ越してきた隣人に対して挨拶まわりをしている。少年はそこで母親に促され自己紹介をする。彼は階段から降りてきて、トラックから荷物を下ろす手伝いをする(ここで楽しげなギター音が流れる)。優しくそのアタッシュケースを二階へ運ぶ。すると荷物の中から彼の兄妹が出てくる。カメラは手持ちになり、兄妹の表情をズームする。長男の名前は明。駅に妹の京子を迎えに行くといい、スニーカーを履いて夜の繁華街へ。二人は歩きながら会話をしつつ家へと向かう。そして母親から新しい家についてのルールが話される。やがて彼女は家へ帰らなくなった…。

さて、物語はとある秋。トラックからアパートに荷物が運び込まれて行く。引っ越してきたのは母、福島けい子と明、京子、茂、ゆきの四人の子供たち。しかし、茂とゆきはトランクの中に隠れたままアパートの階段を昇った。大家には父親が海外赴任中のため母と長男だけの二人暮らしだと嘘をついていたからだ。母子家庭で四人も子供がいると知られれば、またこの家も追い出されかねない。その夜の食卓で母は子供たちに大きな声で騒がない、ベランダや外に出ないと言う新しい家でのルールを言い聞かせた。子供たちの父親はみんな別々で、学校に通ったこともない。それでも母がデパートで働き、十二歳の明が母親代わりに家事をすることで、家族五人は彼らなりに幸せな毎日を過ごしていた。そんなある日、母は明に今、好きな人がいるのと告げる。今度こそ結婚することになれば、もっと大きな家にみんな一緒に住んで、学校にも行けるようになるから…と。明は母のその言葉を複雑な表情で聞く。ある晩遅くに酔って帰ってきた母は明のお父さんは羽田空港で働いていたんだよ。京子のお父さんは…それぞれの父親の話を始める。寝ているところを起こされた子供たちも、楽しそうな母親の様子に自然と顔がほころんで行く。

しかし、翌朝明が目覚めると母の姿は消えていて、代わりに二十万円の現金とお母さんはしばらく留守にします。京子、茂、ゆきをよろしくねと記されたメモが残されていた。この日から、誰にも知られることのない四人の子供たちだけの漂流生活が始まったのである…。その年の冬。母と連絡がつかないまま一月が立ったが、子供たちはこの家のルールを守って四人で生活を続けている。残された金もいよいよ少なくなってきて不安になった明は、タクシー会社で働いているゆきの父親や、引っ越す前から親しくしていたパチンコ屋の店員を訪ねては、お金を借りようとする。そんなある日、母が子供たちへの土産を持って不意に帰ってくる。嬉しそうな茂とゆきに対して素直に喜ぶことができない明と京子。ーヵ月もどこへ行っていたのかと問い詰める京子を、母は大阪行ってたの、仕事が長引いたから…と軽くあしらう。

日が暮れると母はカバンに冬服を詰め始めてクリスマスには絶対帰ってくると言い残して再び出て行ってしまった。送って行った明は、駅前のドーナツ屋で母の自分勝手な行動を問い詰るが、あんたのお父さんの方がよっぽど勝手じゃない、黙ってー人でいなくなって…と言い返され、黙ってしまう。クリスマスにけい子は帰ってこなかった。大晦日にも姿を見せない母に、明は現金書留の封筒にあった住所から番号を調べて電話をかけてみるが、山本ですと別の苗字を名乗る母の声にショックを受け何も言うことができないままに受話器を置く。母に捨てられたことに気づいた明は、そのことを妹たちに悟られまいと、親しくなったコンビニ店員のお姉さんに頼んでお年玉袋の宛名を書いてもらい、母からだと言って三人に手渡した。

ある日、ゆきがお母さんを駅まで迎えに行くと言い出した。今日は帰ってこないと京子がなだめすかしても、絶対帰ってくると言って聞かない。その日はゆきの誕生日だったのだ。明に手を引かれていった駅で大好きなアポロチョコを食べながら、現れるはずのない母を待ち続けるゆき。その帰り道、羽田空港行きのモノレールが走っていくの見上げながら、明はゆきにいつかモノレールに乗って飛行機を見に行こうねと約束する。翌年の春。明に友達ができた。初めて足を踏み入れたゲームセンターで出会った少年たちだ。彼らはやがて明の家に遊びに来るようになり、そこが彼らのたまり場になる。ゲームやおやつに金を費やして光熱費の支払いが滞っても、彼らが我が物顔で振る舞って弟や妹の居場所を奪っても、明は友達ができたことに夢中なあまり彼らの言いなりになってしまう。

しかしある日、いつものように出かけたコンビニで明が一人だけ万引きができないでいると、それっきり友達は姿を見せなくなった。母からの送金もないままで、光熱費の取り立てが家にやってくるようになった。京子はピアノ買うんだと言って貯めていたお小遣いを明に差し出す。正月にもらったお年玉の文字が母のものではないとわかり、京子も母はもう帰ってこないのだと気づいたのだ。四人が一緒にいることの大切さを改めて思い知った明はもういちど姉弟達と向き合おうと決意する。雨も上がった翌日。四人は揃って外に出かける。本当に久しぶりのことでみんなうれしそうだ。コンビニでそれぞれが好きなものを買い、公園で遊び、帰り道にはビルの谷間の空き地で花の種を摘む。ただの雑草も、久々に植物を目にした彼らには美しく映った。家に帰ると早速ベランダに種を植え、その日から四人は花の成長を毎日楽しみに見守った。

夏。今では四人で公園に出かけるのが日課になった。水道も電気も止められたためそこで水を汲み、洗濯をしているのだ。公園のベンチには、いつも制服姿の少女が一人で座っていた。いじめが原因で学校には行っていないらしい紗希と言うその少女は、やがて四人の家に遊びに来るようになる。そして次第に笑顔を見せるようになった彼女は明とも心を通わせていた。ある日四人の貧しさを知った彼女は、携帯電話の出会い系サイトで知り合ったサラリーマンとのデートで一万円を得て店の外で待っていた明に渡そうとする。しかし彼女のその姿に母の姿を重ねて見てしまった明はその金を受け取ることを断固として拒み、彼女を残して走り去ってしまう。これまで弟や妹を守ろうと必死に頑張ってきた明もやりきれなさから彼らにつらく当たるようになる。

ある暑い日。明は、京子が大切にしていた母のスカートを押し入れから引っ張り出して明日売りに行くんだと言って京子と大喧嘩をしてしまう。いたたまれなくなって家を飛び出した明は、ぼんやりたたずんでいた学校のグラウンドで声をかけられ、少年野球の試合に参加することになる。欲しかったグローブを手に、ユニフォームを着て球を追う明。久しぶりに子供らしい時間を過ごした明だったが、家に戻った彼の目に飛び込んできたのは…とと簡単に説明するとこんな感じで、誰も知らないと言うのが嘘っぱちであるほど皮肉が聞いたタイトルであり、誰もが知っている…だろ。とツッコミを入れなくてはならないほど初めて見た時は学生の時で、あまりにも胸くそ悪い映画に終始驚いた。


いゃ〜、柳楽優弥のまなざしに尽きる映画だ。彼を起用していなければこの作品は水準に足していなかっただろう。といってもこの作品が素晴らしいと言うことではなく、この映画が保っているのは柳楽のおかげと言うことである。にしても是枝も子供の撮り方が非常にうまいなと思う。実際彼の作品には多くの子供が出てくるが基本的にはカメラに子供を収めるのが得意のようだ。それと是枝は足の裏を不意に撮るのが好きだな。「ディスタンス」の時は夏川結衣の裸足を撮ってたし、本作では京子役の子役の女の子の背伸びをする時に足を上げているショットがあった。それとまるでメイキング映像を見ているかのような自然体でニコニコ芝居をしながらしてしまう柳楽の可愛らしさがとても癒され印象的だ。あの弟が後のせ天ぷらそばのヌードルに米を入れて残り汁と食べるのは彼のアイディアだったのだろうか、すごく印象的だったのと、妹が音の出るサンダルを履くのも印象的だ。そういえばアポロチョコと言うのは、そもそもいちごポッキーを考えていたそうだが、子役の子がアポロチョコが好きと言うことでそっちに変更されたそうだ。

それにしてもミスタードーナツで明が母親にいつになったら学校いかせてもらえるのとピリピリしながら話すときに、学校何か言ってなくても立派になっている人がいると言うところで、田中角栄とかと言うところは笑える。田中角栄なんて知る由もないだろうと…そもそもこの映画最初からツッコミどころ満載で、引っ越しどこの距離からどこまでとはわからないが、引っ越す前の家から新しい家(アパート)まで、アタッシュケースに兄妹を入れて新しい家までの距離が数時間あるとしてまず死にはかしなくても、脱水症状起こしたりかなり危険な所まで来ると思うが、この映画ではピンピンしていた(笑)。それにどうも子供とお母さんの間がよそよそしくて変な感じである。本当の親子なのか、まるで他人の母親と子供の距離感の詰め方だし、ずっと違和感がある映画である。

明がゲーセンで知り合った友達と仲良く楽しんでいるのを見ると、そうだよな、学校行ってないんだから友達がいるわけないよなと改めて気づかされる。それとその友達にコンビニで万引きを促されるシーンでワンピースのフィギアをポッケにしまうワンシーンがあるのだが、そうかこの時代ワンピースはアラバスタ編だったんだなと思った(どうでも良い話)。それと気になるのだが、学校の生徒たちにいじめられている少女が韓国国籍の韓英恵って女優を当てているのは、在日朝鮮人差別的なのをここで少し見せたかったのだろうか?気になるところである。それとコンビニで若き日の加勢亮がバイト役で出ているのだが若々しい。それと公園で遊ぶシーンを見ると、今はほとんど存在しなくなった危険とされてしまっている遊戯がたくさんあって懐かしく感じた。

弟役の子供がお兄ちゃん風邪ひいたの?変な声と言う場面があるのだが、明らかに柳楽が成長して声変わりをしているのを違和感なくするためのセリフだろう。皮肉な映画とさっき言ったが、クライマックス付近で妹が椅子から転落して死んでしまった後に頑なに万引きをしてこなかった明が、最終的には万引き(万引きしている場面は映していないが)してしまうシーンで、そこから母親からお金が送られてくる場面がなんとも皮肉である。それまでお金がなくて苦労していて妹まで死んでしまったのに、死んでこれから弔いをしようとコンビニで妹が好きだったアポロチョコレートを大量に買って家に帰ってきたら、母親から封筒で現金が送られてきたと言う皮肉さ、あまりにも不条理である。 タテタカコの宝石が流れるラストは印象的である。そしてもう一度子供たちが揃ってコンビニの店員からおにぎりをもらって自宅へ帰るラストシーンで空を見上げる明、信号が青に変わっているのを教える弟、そしてその空には飛行機があり、その飛行機は果たして死んでしまったゆきの眠る羽田から飛び立ったものなのか、観客は考えるだろう(空飛ぶ飛行機の描写で最近印象的だったのがローマの冒頭と終盤だろう)。

そしてすでにカップヌードルの空の箱の中に植物の種を入れて育てていた彼らが電気を止められ、水を止められ、水を近所の公園から汲みに行く場面はまるで遠足のようで、ラストシーンのコンビニでアポロチョコを大量に買うときに店長が遠足?楽しそうだねと言う言葉はまさに妹を弔いする彼らにとっての最後の遠足だったのかもしれない。この映画を見るとその子供たちに言いたい。母親が自分たちに暴力をあげてでもいなくなるぐらいだったら残って欲しかったか…と。結局母親は逃げると言う手段を使うしかできない弱い人間だったのである。話は変わるが、カンヌ映画祭で主演男優勝唯一受賞した日本人として今も柳楽優弥のみと言うのは、悲しいことである。一番取ってるのはアメリカで、アジア映画だと張芸謀監督の「活きる」のグォ・ヨウやカーウェイの「花様年華」のトニーレオン、そして日本の柳楽優弥だけである。確かこれでTIMEのアジア誌でイチロー選手と一緒に選出されていたような気がした。

そういえば柳楽はサッカー選手になるのか俳優になるのか当時悩んでいたそうで、サッカー選手から俳優に移転したと言う役者を不意に思い出した。それがイギリスの映画監督ケン・ローチの「SWEET SIXTEEN」に主演したマーティン・コムストンである。彼もサッカーをやっていたが、この作品に出て悩みに悩んで役者の道へと進んだと言っていた。ちなみにこの作品の下敷きになっている事件の実際の話の方がえぐたらしい。気分を悪くする人もいると思うのでここでは言及しないが気になる方調べてみるといい。先ほど誰も知っていると皮肉交じりなタイトルをつけていると言ったが、この作品のタイトルは出生届けが出されていなくてこの世の中に知られていない子供たちを当てはめていることも考えられる。そして最後に、この作品を見た当時カンヌ国際映画祭に来ていたティム・ロスに映画よかったよと言われたそうで、柳楽優弥の芝居に対してはエマニュエル・ベアールが賞賛のコメントをしていたそうだ。それと制作日誌によると「誰も知らない」の子役オーディションは七回ほどしたそうだがなかなかイメージした子供と出会えないで、原宿に街頭スカウトに向かっても成果はなかったそうだ。
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