EDDIE

許されざる者のEDDIEのレビュー・感想・評価

許されざる者(1992年製作の映画)
3.9
正義とは独りよがりなのか。登場人物みなが「許されざる者」たち。1992年にイーストウッドなりに出した答えをあなたは受け入れられるか。

第65回アカデミー賞で作品賞、監督賞をはじめとして4部門受賞した傑作。
クリント・イーストウッドを語る上で外せない作品とも言われますが、私は初鑑賞でした。

本作でイースウッドが示した「正義に対する考え方」に共感できるかどうかがポイントかなと。

1880年代のアメリカ、ロッキー山脈に近い町ビッグ・ウィスキー。そこの酒場兼売春宿でカウボーイが娼婦の顔をナイフで切り刻む事件が勃発。
娼婦らは彼を許すことができず懸賞金をかけます。
懸賞金を求め、スコフィールド・キッドという若者が、かつての伝説的アウトローであるウィリアム・マニーに賞金を山分けにするからと協力を持ちかけるのです。
途中友人のライフルの使い手ネッド・ローガンを加え、彼らは懸賞金稼ぎの旅に出るわけですね。

この「許されざる者」というタイトルが指すのは間違いなくクリント演じる主役のウィリアムなんですが、実際のところ登場人物の誰もが「許されざる者」なんじゃないかと思わされます。
彼らと対をなす町の保安官リトル・ビル、カウボーイに懸賞金をかけた娼婦たち、もちろんウィリアムと行動を共にするキッドやネッドも同様です。

西部劇の代名詞といえば、やはり「早撃ち」でしょう。私はさほど西部劇ファンというわけではないので詳しくはないんですが、早撃ちにこだわることで正当防衛になるというんですね。ただ無防備の相手に銃を構えれば罪に問われるのは銃を持った側ですが、両者が銃を構え早撃ちを競うことで正当防衛が成立するわけです。
酒場でのクライマックスシーンは大変見応えがあり、これを観るだけでも価値があると思います。ただ本作の意図する伝えたいメッセージはアクションシーンだけではないんですよね、きっと。

このクライマックスまでに各人が背負う罪。ウィリアムはきっと苦しみ続けていたんだと思います。人を殺すことを良しとはしていません。
彼は友人のカタキを打つために復讐を遂げることになります。ただこの行為は正当防衛になり得る早撃ちではなく、無防備の相手を銃殺するのです。それを裏付けするものとして、他の追跡隊たちには早撃ちで迎え撃ち、戦意喪失した者は逃げるように認めるのです。

ここに彼なりの正義が見えました。とはいえ、彼がこれまでに殺害してきた女子供は生き返るわけもなく、許されるわけでもありません。どんなに心改めても、許されざる者は許されざる者であり続ける、そういうクリントの決意のようなものだったのかなと。

作品としては間違いなく素晴らしいです。ただし、目には目を歯には歯をのように報復する形で人を殺害することが答えになってしまうことに共感することはできません。とても意義深い作品ですが、凄く評価が難しい作品でもあります。
好きだけど認められない、そんな複雑な想いを抱いたそんな作品でした。
EDDIE

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