囁かに靱に
不思議な感覚でした。
画面の前で踊っているこの人はもういないのか…ということを思うと。
膨大な時間とお金、そして、人々の最高のモノを作りたいという思いが費やされたショー。
永遠に始まる事もない。だから、終わりもない。
何もかも捨ててこのショーにかけていた人は立ち直れるのか?
もちろん、マイケル・ジャクソン本人は絶対悔しいはずだ。
ファンに見せられなかった事が。
けれど、彼は死んでしまった。
作り上げてきたものは永遠に封印されてしまった。
これだけの人を動かし、
その死後も多くの人を動かす。
彼の背負っていたものは巨大だったんだなあ~。。そして壮絶な闘いだったんだ…
今年、「マンオンワイヤー」という映画を観たときに感じた切なさに似た感情をここでも抱きました。それは天才ゆえの孤独なのか。自分でもまだよくわかりません。
彼は幾度も繰り返す。囁くように。
「怒っているんではないんだ。LOVEだ。」と。
表現者としての、拘り。それを伝えようとする真摯な姿勢。明確なビジョン。
理解されない痛みを知っているからこそ、分かって欲しいという強い願い。
ただ、個人的誇大解釈だと、対等な人はいなかった気がする。そこが私が切なさを感じた一因なのかも。
いや、違うな。
そんな事を書いては失礼か。
彼はそれを乗り越えて、愛を説いていたのだから。
熱を帯びた地球の代わりに逝ってしまったのかもしれません。
まとまりのない長文になってしまいましたが、
この映画は一文で書ける事ができます。
「愛が溢れていました。」
今だからこそ、劇場で見る価値がある。
(映画生活投稿分2009)