デニロ

モダン・タイムスのデニロのレビュー・感想・評価

モダン・タイムス(1936年製作の映画)
3.5
1972年、東宝東和が「ビバ!チャップリン」という企画を立てて連続上映をした。わたしの田舎でもほぼ同じ季節に上映されたので、わくわくしながら出掛けたものです。その初っ端が本作『モダン・タイムス』。チャップリンが喋った、と宣伝されていたような気がする。

今、大工場で働くチャップリンを観ながら、仕事の目まぐるしさに自律神経をおかしくしたチャップリンを観ながら、失業してその日暮らしになったチャップリンや、食事付きの監獄に戻る策謀を巡らすチャップリンを観ながら、あてどなく街をうろつく不良少女ポーレット・ゴダードを観ながら、え、今とあまり変わらない。経済の成長は、金を同じところでグルグル回すことで成り立っているんだとあらためて思い直す。楽しい我が家(ホーム)のためならと、奮闘する姿を笑えないのだ。

しかめっ面のポーレット・ゴダードに、笑って、と口角を上げさせる仕草は、その後いろいろな作品で使われている。かの大河ドラマ「龍馬伝」でも、坂本龍馬が不安がるおりょうにそんな仕草をさせていたのを思い出した。

「Titina」のシーンもあらためて観ると、ポーレット・ゴダードがチャップリンの袖口に歌詞を書いてあげたのだが、張り切り過ぎたチャップリンの動きで袖口が飛んでしまうというギャグから始まっていた。成程。

ラスト。古い映画で様々に解釈されているけれど。一本道。街に背を向けて山に向かって歩き始めるふたり。ふたりの夢見るホームはその先に見えるのだろうか。1971年やはりリバイバルで観た『卒業』のラストシーンの寂寥感を高校生のわたしは思い起していたのではなかろうか。いまやその頃の多感な感受性を以てしてではなく、現代社会に徹底的な批判を加えその向こう岸に渡ろうとする夕景の中のチャップリンとゴダードのその後86年間を想像するのだ。やはり艱難辛苦だったろうか。いや、今も藻掻いている、そう思わずにいられない。作品はそう語っている。

1936年製作。脚本監督チャールズ・チャップリン。

角川シネマ有楽町 フォーエバー・チャップリン ~チャールズ・チャップリン映画祭~ にて
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