公開当初から観たかった「Milk」。やっぱり、私はショーン・ペンが好きだ。実在の人物を映画化した本作は、これまで観たショーン・ペンとはまた違っていて。一つひとつの動きも、まるでそこには本人がいるようで釘付けでした。これが実在した人物なのだと思うと、より胸に迫るものがあります。
1970年代、同性愛がまだまだ偏見に満ち、ゲイだということをカミングアウトできなかった時代。これまで彼が付き合った3名の“彼(Darling)”はみんな自殺していった。ゲイであることを、ハーヴィー自身も隠し続けていた。アメリカのニューヨークでは、ゲイバーが警官にガサ入れされて捕まったり、ゲイであると道で刺されて死んでいったりしていた。
40歳になる前にハーヴィー・ミルクの人生が動き始める。40歳になるが、僕は何一つ残していない…。パートナーのスコットと、当時のゲイが集まる場所サンフランシスコに来て、カストロ通りでカメラ屋を開く。隣人からは「ゲイに、そんな権利はない」とののしられる。
カストロ通りはゲイたちの情報交換の場となり、元々サンフランシスコに住んでいたゲイや、その他にもアメリカ中からゲイが集まるようになる。ハーヴィーはいつしかカストロ通りの顔となる。「カストロ通りの市長」だと。
そして。ハーヴィーは立ち上がる。「ゲイに権利を!マイノリティに権利を!」何度も何度も市議会選挙で落選するが、少しずつ少しずつ学び、公民権を得るために人生を捧げていく。
ゲイを公開しながら初めて公職に就いた人。そして48歳の時、元同僚だったダン・ホワイトに殺され、短い人生を遂げた人。今でも、マイノリティで苦しんできた人たちの光の人。
彼が殺されたとき、想像をはるかに超えた数の、彼の死に傷む人たちのキャンドルナイトの行進が行われた。Who am I?彼はゲイたちだけでなく、黒人やアメリカに住むアジア人、レズビアン、トランスジェンダー、老人など弱者として生きている人たちの心に強く強く残る。
隣の人との違いを受け入れよう。それは怖いことなんてなくて、お互いに理解し合うこと。そして、それは何も違わないこと。私たちは、こんなにも同じだ。
この映画には多くの人たちの悲しみが沢山あって、多くの人たちの希望が沢山ある。ハーヴィーも言う。希望だけでは、もちろん生きていけないけれど。でも僕らは希望がないと生きられない、と。