切なくて、やりきれなくて、でもそればかりでもない、名づけようのない感情が沸き起こる。田辺聖子の原作も好きだが、また少し違う感傷。どこか昔の話ではなく、私たちの物語としてのリアル。
「こわれもの」という言葉には、壊れているもの、と、壊れそうなものの両義がある。古くて薄汚れた街の一角の、おばあとジョゼの暮らしの愛らしさ。いろんな感情を呑み込んでぎゅっと唇を結んだ池内千鶴の表情は、ジョゼそのものだ。恒夫の根源的な欲望や優しさ、揺れ動く気持ちも、カナエの表面的な正しさと俗っぽさも、雀荘で話題にする人たちの野次馬的な好奇心もいろいろごっちゃになって私の中にも存在する。
恋する男女、障がい者と健常者、自立と介助、いろいろな関わりに正解などないのだろう。その時々に感じて動いてぶつかったり転んだりして生きていくしかない。それを一番わかっているのはジョゼなのだ。