スーダラ

グッド・ウィル・ハンティング/旅立ちのスーダラのレビュー・感想・評価

4.0
https://cinemanokodoku.com/2018/03/01/goodwillhunting/
天才的な頭脳など持ち合わせていなくても、自分の中に硬くて小さな殻を持っている人は沢山いると思うのです。

「百本の映画を見るよりも一人の友人に出会うことで得られる驚きの方が刺激的だ。」

と言った友人と

「僕は映画を信じている。本当の人生は映画の中にこそあるのだから。」

と言った映画監督がいました。

数字や時間に追われ自分の気持ちを思うように伝えられない現実と、映画の中の現実と、どちらが僕にとっての「小さな殻」なのか?宝石のように散りばめられた印象的な台詞の一つ一つを味わいながら、そんな事をずっと考えていました。

類まれな才能と、不幸な境遇を背負った若者は自ら「小さな殻」に閉じこもり、他者との関わりを意識的に遮断します。明晰な頭脳をもってしても、解き明かすことのできない(容易でない)、もしくは解き明かすことに意味がないものが存在するということを知ってか知らずか。

彼のまわりには必死になってその事を彼に伝えようとしてくれる人々がいます。
まるで家族のように。
一番泣けた台詞は親友チャッキーの「一番のスリルは・・・・」
二番目はショーンの2回目のカウンセリングの台詞「ミケランジェロの壁画の匂いは・・・」
チャッキーはウィルを”Brother”と、ショーンは”Son”と呼んでいました。

整合性を求める科学とは違い、その存在自体、様々な矛盾を抱えている人間。
欠点が愛しかったり、好きなのに素直になれなかったり、親友だからこそ突き放したり・・・。人間はその寛容さでその矛盾すら(矛盾こそを)エネルギーに変えてしまうことができるようです。
その寛容さがあれば、きっと科学だって、彼に色々なことを語りかけてくれることでしょう。科学とヒューマニズムってそんなにかけ離れたものではないはずだから、もともとは。だから、彼はエンディングでどちらかだけを選択したのではなくて、両方を同時に、初めて自分のものにしたのだと思うのです。

「100本の映画」と「一人の友人」僕にとっても両方が同じくらいに大切です。

https://cinemanokodoku.com/2018/04/27/goodwillhunting-2/

「グッドウィルハンティング」には主人公の才能を見出す数学者と、それから彼と通じ合い、彼の心の傷を癒してくれる心理学者が現れる。
どちらもが研究者として、教育者として、人間として、とても魅力的だ。

翻って、今の日本では、大学が研究の場であると共に教育の場でもあることに否定的な人もいる。
「出来の悪い学生に構っていては研究が疎かになる。」
そんな意見だ。
そのことに関して僕の恩師は当時、こう言っていた。
「君たち学生と接して、君たちと議論をして、君たちを育てることは私の研究の一部だ」
先生は実際にそれを実践され、出来の悪い学生の典型だった僕たちを鍛え、導き、そして同じ学問を志す研究者として扱ってくれた。心から感謝している。
客観的な純粋科学と、一般的な倫理や道徳は、原則としては区別されるべきだが、実は科学を究める上での思考のアプローチを追及すると、そこには個人を尊重し、ありとあらゆる意見に偏見なく公平に耳を傾けるべきだという考え方が立ち現れてくる。価値観や既成概念の押し付けではない。先生はどこまでも科学を探求する研究者であり、同時に教育者だった。
正しいという字は一つのところに止まる、と書く。
流行や損得や政治の干渉に一切左右されず、一つのところに止まり続ける人こそが真の研究者だ。
一人の若者を研究者として、人間として未来に導いたように、大学はそこに止まり続け、永久に研究の場であると同時に教育の場であって欲しい。
スーダラ

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