ボブおじさん

愛と青春の旅だちのボブおじさんのレビュー・感想・評価

愛と青春の旅だち(1982年製作の映画)
3.9
主演のリチャード・ギアを一気にスターダムへと押し上げた青春ラブストーリー映画だが、良くも悪くも時代を反映している。

公開時のキャッチ・コピーは〝愛は遊び、と男は思った。愛は結婚、と女は信じた〟だった。今だったら各方面から非難や反論を受けそうなコピーだが、当時は違和感なく受け止められていた。

印象的な主題歌と鮮やかなラストの影響もあり、一見甘いラブストーリーの皮を被っているが、裏で描かれているのは、今でもアメリカ社会に根強く残る〝貧困・格差・差別〟という負のスパイラルから自らの力で抜け出す為に、孤独に生きる一人の男の物語だ。

原題「An Officer and a Gentleman」は、直訳すれば〝士官や紳士〟士官たるもの紳士たれと言うことだろう。つまり士官とは軍のエリートであり、もっと意訳すれば〝選ばれし者〟であると言うことだ。

この映画には4人の主要な人物が登場する。彼らはいずれも恵まれた環境で生まれ育ったわけではなく、そこから脱出したいと思っている。

13歳の時に母が自殺し、元海軍兵の自堕落な父のもとで喧嘩に明け暮れる荒んだ少年時代を過ごした主人公のザックは、全ての過去と訣別するため海軍航空士官養成学校に志願した。

同じ様に国中からエリート士官を目指して養成学校に若者たちがやって来る。厳しい訓練を覚悟してオクラホマの田舎から夢を抱いてやって来たシドは、その象徴だろう。

町工場で働くポーラたちが現状から抜け出すためには、エリート士官の妻になるしか道は無かった。その為に毎年13週間の訓練期間の間に将来を約束された男(Promising Young Man)を落とすことだけを考えていた。

訓練生たちをこれでもかと徹底的にしごく鬼軍曹のフォーリー(ルイス・ゴセット・J r.)は、自分が育てた若者が卒業して士官になっていくのを見る教官としての喜びと誇り、そして自分はいつまでも軍曹でしかないという〝黒人〟であるが故の悲しみと無念を奇跡的な表情で演じた。

ザックが抜け出したい過去からの脱出を自力で果たし〝選ばれし者〟になるまでの葛藤と過程を13週間の過酷な訓練として分かりやすく描いた構成は見事だが、一方でポーラは自らの幸せをザックとの結婚に託す。

一見シンデレラストーリーの様なポーラの玉の輿だが、現代だったらこの時ほどの支持は得られなかったのではないだろうか?

映画は、その時代の観客に向けて作られるものだから、当時の女性は大方この照れ臭くなる様なハッピーエンドを心地良く受け入れた。絵に描いたような美しいラストだが、へそ曲がりの私は別のエンディングを想像してしまう。

ザックにとって彼女は、厳しい訓練を癒してくれるひと時のオアシスではあったが、時が経てば自分に相応しい女ではないことに気がつき別れを告げる。厳しい言い方をすれば、ポーラは冴えない自分と訣別する為に、彼を利用している女とも言えるのだ。

だが心配することは無い。たくましい彼女は次の訓練生を狙って、またパーティー会場に姿を現しエンディングとなる😅

運が良ければ玉の輿に乗れるかもしれない。だがそれは、決してザックではない。

うん、絶対ヒットしないな、このエンディング😅



公開時に劇場で鑑賞した映画をVHSビデオで最後の視聴😊


〈余談ですが〉
他のレビューでも何度か書いているが、映画の邦題は、配給会社がライト層を劇場に呼ぶ為の手段だと割り切っている。

その意味では、この何とも甘ったるい「愛と青春の旅立ち」の邦題は若い女性を劇場に呼ぶ恰好のタイトルだったかもしれない。まさに社長賞もの😅

本作は愛も友情も忘れていた若者が「An Officer and a Gentleman」へと変わっていく成長物語の側面もあるのだが、それが可能だったのは彼が白人の男だったこともあると思う。

同じ能力があったとしても黒人だったり、女性であればハードルは更に上がり、狭き門になっていたのではないだろうか?本作でも間接的ではあるがその様な描写がある。40年以上前の映画だが、今でも状況は大きくは変わっていないのでは?

「トップガン マーヴェリック」では女性や黒人のパイロットも描かれていたが、果たして実状は?


〈更に余談ですが〉
本作のヒロインを演じたデブラ・ウィンガーは、この作品の後も何作か映画に出演したが、人気絶頂期に映画界を引退する。

その理由については、その名もズバリ映画「デブラ・ウィンガーを探して」に詳しい。その後のリチャード・ギアの活躍を考えるとハリウッドに限らず映画界全体の男女格差の問題は未だ解決の糸口すら見えない😢

※日本でも40歳過ぎて主役を張れる女優は、吉永小百合しかいないという現実を皆さんお気づきか😅