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さらば復讐の狼たちよのファックマンのレビュー・感想・評価

さらば復讐の狼たちよ(2010年製作の映画)
2.0
物語全体は起承転結で構成されるように、なにかが起きてる各シーンも最低でも三段階で構成する必要がある。第一段階はセットアップ、第二段階がクライマックス、第三段階がコンセクエンス。実際はもっと柔軟に細かく分けられ、あくまで最低限しなきゃいけないのがこれというだけである。例えば、「キャラクターAがキャラクターBを後ろからバールで殴って気絶させる」というシーンを描きたい場合は、セットアップの「Aがバールを振り被る」、クライマックスの「バールがBに直撃する」、コンセクエンスの「Bが倒れて気絶する」を最低でも描くのが普通である。この映画は、セットアップをすっ飛ばしてクライマックスから始まったり、逆にセットアップからクライマックスとコンセクエンスを描かずに次のセットアップにまで飛んだり、思い出したかのようにセットアップを三段階の一番最後に導入したりと、そのシーンごとの三段階構成を徹底的なまでにガン無視した映画である。おかげでとにかくなにが起きているのが分かりづらい。それだけでも問題だが、異常なまでのペースの速さと、そもそもの場面の描き方の奇怪さのせいで不必要な難解さに拍車がかかってる

この映画がガン無視してる映像メディアの基礎ルールはシーン構成だけじゃない。「百聞は一見にしかず」という諺からも解るように、人間は文字よりも画での情報の方が飲み込みやすい。だからこそ、映像メディアには「Show, don’t tell(言葉ではなく、画で説明しろ)」という黄金のルールが存在する。この映画はありとあらゆることを、徹底的にまで言葉のみで説明してた。キャラクターがどういう感情を抱いているのかも、今はどういう場面なのか、さっきのはどういう場面だったのか、全部言葉で解説する始末。というか、最初から最後まで、ノンストップトーキングである。とにかく全員状況解説状況解説アンド状況解説である

このワンシーン単位での起承転結の崩壊ぶりと、画ではなく言葉で解説するスタンスが悪魔融合した「突然なんの前触れもなくなにが起きてるにか意味不明なシーン」→「キャラクターが今のシーンの事後解説」のオンパレードである。いや、事後解説するだけまだマシで、説明しきれなかったと判断したのか、事後解説の事後解説みたいなシーンも結構な頻度である

これらの問題点が詰まった分かりやすい例となるシーンがある。麺屋という下っ端キャラクターが、突如転がり落ちてきた大太鼓から必死に逃げ惑うことになり、混乱の最中でウーという名の上司的立ち位置のキャラクターの酒を溢してしまい、怒ったウーにボコボコに叩きのめされる…という展開のシーンだ。こうして描くと特に難しい点も、複雑な点もないでしょう?しかし肝心の映画でこのシーンは、大太鼓が転がり落ちる→場面が切り替わると既に麺屋が大太鼓が逃げている(ちなみに映画における麺屋の初登場シーンはここ)→麺屋が画面外へとなんとか逃げる→すると、突然麺屋がウーにボコされてるシーンに切り替わる→麺屋がボコされ終わった後ウーが「俺の酒を台無しにしやがって」と事後解説。実際にはその直後の裁判のシーンでウーの圧に負けた麺屋が「私がぶつかって酒を溢してしまったんです!」と詫びるくだりで初めて視聴者が状況を理解できるようになる(とは言え、具体的にどうやって酒を溢してしまったのかは最後まで謎だが)。お得意の事後解説の事後解説である。この間、麺屋がウーの酒を溢してしまうという様子を画として映すことは一切ない。このようなシーン単位の起承転結崩壊、画での解説崩壊、言葉での解説崩壊なシーンは例外などではなく、映画全編にみっちり詰まってる

単純に型にはまってない描き方をしてるだけでは?とは思うかもしれないけど、前衛的アート映画とこの映画との決定的な違いは、必ずしもこういう描き方じゃないと成立しないという訳では決してない…なんなら真逆である。どのシーンも三段階構成と画での説明をちゃんとした、「型にはめた描き方」に変えたら、もっと観易くもっと分かり易くなってたのではないか。先ほど長々と説明したシーンも、麺屋がウーにぶつかり、酒を溢してしまったシーンを映像として入れるだけで、遥かに状況把握がし易くなるはず。本当は複雑に入り組んだ映画で、理解できないのはお前が馬鹿なだけじゃ?ww観てる最中はなにが起きてるのかまるで理解できなかったのに、観終わった今はストーリー上で特に謎だった面や理解できなかったくだりがないのが、状況説明を全部事後解説で済ませ、単純な内容でも不必要に遠回しに描てたなによりもの証拠ではないのか

これだけでも問題なのに、更に更に、おまけに喰らえと言わんばかりにとにかく映像が醜い。どういうことかというと、カット割りがとにかく異常に多い、シェイキーカムなどの酔わせにきてる様なカメラワーク、酷いCG、そしてションベン色のフィルター…と、とにかく画面がやかましい上に目が痛い。特にチンパンジーみたいなカット割りとカメラワークのせいで、ただでさえ構成上なにが起きてるのか分かりづらいシーンが、更になにが起きてるのか分からない

映画としての基礎要素の崩壊ぶり、醜い映像、そして流れるスピードが早い上なに書いてるのか意味分からん字幕を終始熟読したせいで、人生で一番観てて疲れた映画になってしまった。精神的負担が重い鬱映画やノンストップサスペンス映画でもここまで疲労感を覚えなかったぞ。映画の売り上げ率と作品としての面白さが比例しないのは理解してるけど、ここまで映画としての基礎がなってない作品が、公開当時中国ナンバー1の売り上げを叩き出したのかあ…とはどうしても思う。チョウユンファ補正ありきでも全然好きになれなかった映画はドラゴンボールレボリューション以来だぞ
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