Jeffrey

現代性犯罪絶叫篇 理由なき暴行のJeffreyのレビュー・感想・評価

3.8
「現代性犯罪絶叫篇 理由なき暴行」
冒頭、青森から東京へ上京してきた貧乏な若者三人。彼らは六畳一間のボロアパートに住んでいる。浜辺での強姦、万引き、覗き見、ストーカー、同級生の女、工場労働者、ナンパ。今、俺らを獣にしたのは誰だ…本作は一九六九年に若松孝二が監督した実際に登場している三人組の主人公たちが書いた脚本によって、世界全てに対する憎悪を極限まで突き詰められ、これまでのジャンルとしての青春映画とは異なった、その真の様を描く階級的青春映画が生み出されたと当時は話題になったそうだ。そして、新宿の街をあてどもなく彷徨ながら、突発的に警官に拳銃を発射する主人公の姿に、当時の連続射殺魔として広く知られた同じ十九歳の永山則夫を重ねることができるだろうとのことである。ちなみに永山則夫の書いた"無知の涙"と言う本を自分は読んだことがあるので、色々と詳細は知っている(兼人監督の作品にも永山則夫を題材にした作品がある)。

この度、DVDのボックスを購入して初鑑賞したのだが、これもまたすごい強烈である。この貧乏な若者たちをいかに獣にしたかと言う社会を描いた数奇な映画だ。本作は現代性犯罪シリーズの第二弾とされている。この作品を見て思った事なのだが、高度経済成長下にあった日本で、地方から(この場合青森)東京にやってきた若者たちが学業を終えて週末になると娯楽を求めて新宿に足を運ぶと言うのがルーティーンだったのだなと感じる。それに社会の底辺にいる彼らが飲み屋で夜を明かして小田急線でアパートに戻ろうとするが、電車を乗り過ごし江ノ島まで行ってしまうと言う冒頭の場面を見ると、圧倒的多数の若者たちが当時は色々と大変だったのだなと感じる。それはこの作品で万引きをして小遣い稼ぎをする場面やヌードモデルを尾行してただでセックスをさせてもらおうと言う画策などで現れるし、クライマックスで〇〇が死んでしまう場面に遭遇する主人公の一人が、警察の事情徴収に対して怒りを表す場面がピークを迎えるのだ。まさにこの作品は金持ちやインテリ、権力に対しての憎悪そのものである。なので主人公が言い放つセリフがかなり重いのだセリフの内容はネタバレになるため伏せる)。特に新宿のピンク映画館が画面に現れたときに、青年たちに支持されていた映画というのが若松が制作するこのようなピンク映画だったんだと分かる。

現在では、学業終わり、もしくはバイト終わりに新宿に行くとしたら様々な娯楽がある。ゲームセンター、当時と変わらない劇場、マンガ喫茶、カラオケボックス、ボーリングなど様々である。そういった中、この映画に出てくる獣とされる男たちは、極力お金がかからない公共の施設で過ごしているのが特徴の一つとして捉えられている。パブリックな浜辺に始まり、公園などである。また当時の地政学的な地図とも言える新宿を中心に居住する若者たちの苦悩が映画から溢れんばかりに出てくる。それは汚く狭い六畳一間のアパートで共同で生活する大学生をわれわれは約七〇分間観るからである。六十八年と六十九年の国際反戦デイにおいて、新宿騒乱と言う名の暴動はなどを思い浮かべてしまう。



さて、物語は青森から上京してきた貧乏でモテない十九歳の学生、浪人生、工場労働者の男三人組が、狭くて汚いアパートのー室で共同生活しながら、底辺にいる自らを蔑み、金持ちや社会、学生運動までも激しく呪いながら、強姦、覗き、盗み、ナンパを繰り返し自滅していく。本作は冒頭にダラダラしている男らが、俺はアパートよりマンションに住みたいな等と口にし、彼らのほんの少し前までの回想記録が映像として挟まれ、その上から彼らの声で物語が語られていく。そして三人は新宿駅の中へと入っていく…と言う流れでファースト・ショットは小汚い地下バーで横に並ぶ三人で始まる。主人公の工場労働者の名前は原田、松本、大沢である。新宿の飲み屋で飲み、三人で暮らしている六畳の汚いアパートの生活を回想して自らの境遇を語る。三人はアパートに戻るため電車に乗るが、松本と大沢がどこか遠くへ行こうと言い出し、網走番外地を口ずさみながら江ノ島へとたどり着く。

カメラはその光に満ちた列車内をとらえる。海岸にたたずんでいる彼らは、あるアベックを見つける。幸せそうな二人に怒りがこみ上げてきた彼らは、アベックに襲いかかり女を輪姦する。そして、アベックにも性行為を強要し、男が持っていたカメラでそれを撮影して脅迫する。三人はアパートで撮影した写真を見ている。大沢は週刊誌の強姦事件の記事を読み始める。原田は、松本と大学へと向かい、校門の前で活動家に話を掛けられるが、原田は逆に学生運動を批判する。ビラまきをしている女性活動家を見かけるやいなや早速声をかけ断られたら罵倒する始末である。アパートへ戻った彼らは、網走番外地のレコードを聴きながら大声で歌い出すと、隣の大家に注意される。いてもたってもいられず押し入れから大家の部屋を覗き始めてその後に眠りにつく。大沢が改造拳銃を作っている。

続いて、大沢がヌード写真を部屋に貼ろうとする。三人がピンク映画館から戻ると部屋で見知らぬ女が居座っていた。彼女は青森の小学校で同級生だった吉永と言う子で、今は銀座のクラブに勤めホステスの仕事をして赤坂のマンションに住んでいると言うのだ。それを聞いて驚く彼ら。コタツの中に入り数分会話をして彼女が帰ると言い出し、原田が駅まで送る。予備校から出てきた松本がパチンコ屋に向かう。大沢がやってきて一緒に吉永のお店へ飲みに行こうと言う。2人は吉永に原田と同じように自分ともう寝るように要求するが、あの日アパートに戻らなかった原田と吉永は一緒でなかったことが判明する。原田が書店で数冊の書籍を万引きして金を作り、彼らはナンパを始める。誰にも相手にされず、彼らは吉永への怒りをあらわにし、赤坂のマンションへと向かう。彼らは押し入ると吉永に襲いかかり、押さえつけている状態で誰が先にやるかじゃんけんをして犯す順番を決める。女は獣…と罵られた三人は逆上し彼女に罵詈雑言を浴びせる。

三人で貧相な食事をしていると大沢が押し入れから改造拳銃を取り出す。公園で部屋に貼ってあるヌード写真のモデルに出会い、跡を尾行してアパートまでついていく。三人が自分たちはファンだと伝えると部屋へと招かれ、ウイスキーを飲む。そして疲れたと言ってベッドに入る彼女に自分たちと寝てくれるように頼み込むとすんなり受け入れられる。再びジャンケンで順番を決める。しかし原田がセックスをし終わった頃に、大沢の番になった瞬間、チンピラたちが部屋に入ってきて、彼らは暴力を振られ金や貴金属を奪われる。ショックを受けながらアパートに戻る彼ら。大沢はモデルの写真を引き裂き、一人で拳銃を手に飲みに出かける。原田と松本は、三日も戻ってこない大沢を心配する(ネタバレになるためここの場面の出来事は省く)。

なんだかんだ時が過ぎ、原田が大学から戻るとアパートの前に警官や新聞記者が集まっている。彼らから松本が〇〇で〇〇をしたと知らされる。警察の質問に答える原田は、安易に〇〇の理由をつけようとする新聞記者に激怒する。原田は、〇〇の写真を手に取りながら〇〇が好きだった網走番外地のレコードをかけて黙々と聞いている。明け方に酒を飲み終えて街を徘徊する原田に猛スピードで男がぶつかってくる。どうやらヤクザがギャングのようで、男が落としていった拳銃を拾い上げた彼は、その後を追ってきた警察に拳銃を向けられる。原田はとっさに引き金を引き、警察と〇〇になる。そして原田は壁の前に〇〇していくのであった…とがっつり話すとこんな感じで、多少ネタバレになるため〇〇と言う言葉で誤魔化しているが、大まかな流れは上京した大学生の日常を描いたフィルムである。やはり当時の若者は拳銃を手にすると国家権力(警察)に拳銃を向けたくなると言う衝動が発生するらしい(笑)。


いゃ〜、あの冒頭の駅から電車に乗って三人が歌を歌ったり網走に行くなどと会話する電車の中の光のコントラストがすごく印象的だった。そこから目的地に降りて、三人が歩道橋渡ったりする場面をロングショットで捉えたり、海が見える風景をフレームインする場面などヌーヴェルヴァーグのごとくである。若松浩二にこのようなロメール的な演出をする好みがあったのかと驚く。特に浜辺を歩く(あてどもなく)男らのショットは美しいし、太陽に反射する海の閃々とする陽光がたまらない。これはロジエのバカンス映画のワンシーンのようだ。そっからたまたま浜辺を歩いていたカップルを男たちが襲って、女を裸にして強姦するとんでもない"いきなり差"を見せつける。これには不意の力に参る…。そこからプラトニックな関係ですか?などと平然と声をかける男らの異常性はたまらない。手にはナイフを持って脅しているし、カメラで写真を撮ったりもはや現具にされている。そのシーンは終始女の喘ぎ声的なうなり声が聞こえるして、撮った写真を部屋に持って帰って眺めて会話しているしやばい。

その江ノ島に行くまでの電車の中で映る窓の外の光景に一瞬だが富士山が映り込む。これは若松映画のあらゆる作品に登場する国家的もしくは象徴的存在を表すものであり、若松はそのようなものを自分の映画に取り入れるのが好きだなと感じた。また映画的パラドックスを作り出したり、暴行の表現が過激ではないのも面白い。基本的には学生の欲求不満を捉えており、ミディアムショットへと移り変わったり、かなりカットから提示されない一つの場面(カット)がつながったのかが分からないような演出も見事である。用は、外で写真を撮る。その後に行われたカットでは部屋で写真を眺めている若者たちの姿がある。だがそれは写真を撮った時期から何時間後、もしくは何日後であるのかが提示されないと言うことである。


そもそも女を犯す浜辺の近くの木道のような所の場面は、神代の「恋人たちが濡れた」の場面にも似ている。その次に展開されるのがブルジョワデモクラシーに対しての学生運動に対する政治的な世界へと移り変わるのだ。しかしながら三人はそんな権力に対しての行動を起こす等には興味がなく、女にしか興味がないことがここで判明する。学生たちは懸命にビラをまいているが男たちにはその声は届かない。逆に馬鹿にされるのだ。ビラを配る女に俺と寝ないか、欲求不満なんだろうと言う始末である。今では差別用語なのかもしれないがパン助と言う言葉が出てくる。この映画あえてロングショットでとっている分、どこかしら隠れてドキュメンタリーをとっているかのようなセミ感が少しある。

そんで部屋に戻ると音楽をかけた途端に夜だからうるさいと近所迷惑だと怒られて、それにしびれを切らした男たちが今度は隣の部屋を覗き見して性行為している場を見始める。その時の画面はまるで我々が本当に覗きをしているかのような真っ暗な黒を基調にしたフレームの中でほんの少し小さな穴でその行動が写し出されるのだ。終始、セックスをしている喘ぎ声が聞こえ、覗いている男たちの小声で凄い、凄げーと言う声がひたすら聞かされる長回しのシーンである。そして同級生だった女が管理人に鍵を借りて勝手にアパートに入ってて男三人と女ー人と言う構図になり、こたつに入り会話し始める。観客からしたら、この性欲に飢えている獣たちの巣に自ら入り込んだ哀れな動物にしか見えないのである(この後どうなったかはネタバレになるため話さない)。

まぁ、ここからまた様々な小道具(拳銃)などが出てきたり、物語が強く加速していく。いろんな女を尾行して部屋に押し入っては強姦し、獣と言われ、男たちが誰が俺がらを獣にしたんだ、お前みたいな女がいるからだろうと逆ギレするなど中々と滑稽な場面が多く出てくる。書店で本を万引きして、それを売って資金にしたり、もはや許しがたい犯罪者である。しかし天罰が起きることになる(詳細はネタバレになるため言及しない)。 高倉健の"網走番外地"が流れる追悼場面は悲しい…。ただこの映画を見て個人的に思うのが、果たして性的な快楽を感じ取ることが彼らはできたのだろうかという疑問が残る。獣とののしられて自分たちの底辺にいる環境にうんざりして蛇蝎のごとく世の中を嫌っている彼らには、性的欲求を満たしていても常に隣り合わせの怒りが彼らを支配してしまっているかのように見える。また、パートカラーで写し出される覗き見する場面は若松の演出で観客にほとんど何をしているか分からないように描写している。強姦されているのか、和姦されているのかすらわからないのだ。


どうやらこの作品は当時の早稲田の学生三人に脚本を若松が書かせてそれを採用したそうだ。当時の若者は小田急と江ノ電に乗って鎌倉の海岸に行くと言うのが夢だったそうで、そのようにインタビューで答えていた。そして若松自身日活の青春映画には腹が立っていたと言っていた。そしてジェームズディーン主演の「理由なき反抗」が若松は好きだったそうだ。「理由なき暴行」と言うタイトルももしかしたらそっから来ているのか?若松自体もボロアパートで六人暮らしをしていて食事を盗んだり障子に映る女の姿を見て勃起したりしたと言う笑い話をしていた。


ネタバレになるためうまく話せないのだが、この作品にはだらけた日常が描かれている反面、なぜ〇〇が〇〇によって事故死して、〇〇が〇〇に飛び込んで〇〇するかと言う事柄が一切不在のまま終わってしまうのだ。しかしながら〇〇による最後の〇〇はきっちりと観客に見せている。それは主人公たちが自滅していく様子を実験的に描いているかのようである。実際に〇〇たちが〇〇になってしまう証拠と言うのは、第三者からの説明によって明かされるもので、その点は非常に風変わりなスタイルを醸し出している。そのクライマックスの警察官と青森から上京した学生の緊張感あふれる拳銃の〇〇のシークエンスによって帰結する本作は、新宿の街をあてどもなく彷徨う若者の突発的な怒りと悲しみが警察官へと向けられるシーンでの彼の人生の大団円を迎えたかのごとく観客に彼らの怒りが映るのである。それが先ほども言及したアメリカ軍基地から拳銃を盗み、同じ年齢(十九歳)で北海道から上京した一九六八年の末に四人を殺し、連続射殺魔として広く知られた永山則夫事件を重ね合わせることができるだろう。

今思えばこの「理由なき暴行」は六十九年に撮られた最後の作品であり七〇年代の最初に公開されたと言う境目映画として語られるだろう。日本政治運動における変化も七〇年代以降更に劇的に動き始めている。まずは日本赤軍の九人のメンバーが羽田空港から飛び立った日本空港のよど号をハイジャックし、北朝鮮へと向かうと言う大事件、日米安全保障条約が確定されてしまうが、その七〇年十一月二十五日には三島由紀夫が壮大に割腹自殺をするのである。その二年後にはあさま山荘における人質事件と警察による包囲攻撃の事件が勃発する。正に激動の年である。あさま山荘事件に関しては確か積極的にテレビが放映して視聴率が九〇%に足したとされていた。確か同じ年には日本赤軍の岡本と他二人のメンバーがリッダ空港を襲撃したと言う事件もあった。長々とレビューしてしまったが、クライマックスの壁をとらえる演出の皮肉さと残酷さには驚かされる。この作品はまさに若松孝二の傑作と言えるだろう。日本映画研究をしてきたマイケル・アーノルドが絶賛してたように、この作品は素晴らしいに尽きるのだ。
Jeffrey

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