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波の数だけ抱きしめてのodyssのレビュー・感想・評価

波の数だけ抱きしめて(1991年製作の映画)
3.0
【バブル崩壊の年の映画】

昔ロードショウで見たのですが、BS録画にて再見。

最初のあたりで黄色いオープンカーが砂浜で動けなくなるシーンは覚えていましたが、あとはほとんど忘れていました。20年以上前の映画だから当然かも知れません。

中山美穂と織田裕二の、何とも歯がゆく進行しない関係(およびそれに付随する四角関係)と並行して、小さなFM局(法律の規制で出力を一定以上に上げられない)の聴取範囲を、中継装置を作ることによって広げていこうとする若者たちの努力が描かれています。

湘南の浜辺や海は美しいし、夏休みに勉学するでもなくこういう好きなことに打ち込んでいるお気楽大学生たちの様子も、楽しそうというか、深みはありませんけどね。一応、最初のあたりには就職どうしようという話が出てくるのですが、どういうわけか途中で消えてしまう。4年生なんだし就職は一生の問題だからもっと真剣になってもいいはずなのに・・・と思うのは老婆心的な考えでしょうか。

中山美穂はこの時21歳。女優として盛りの頃ですね。彼女、あんまり映画には出ていないから、結局この作品と『Love Letter』とが代表作ってことになりそう。

一人だけ、大手の広告代理店勤務のサラリーマンという設定の別所哲也。彼は中山美穂めあてで彼らに近づきながら、結局FM局を商売に使うことで彼らを支援し、社内で自分の仕事ぶりを上役にアピールしようとする。でも、一千万も使ってあの結果じゃ、クビじゃないかな・・・。一千万といったらそれなりの大金。ちゃんと返せたのかなあ・・・。

あと、中山美穂は上智大学国文科の学生だということになっている。両親が仕事の関係でアメリカにいて、彼女もアメリカに来るよう言われているという設定で、いわば国際派だから、そういう学生がいるのは上智大だということなんでしょう。でも、大学を卒業せずにアメリカに来いってのは、どうなのだろう。この映画ではあくまで織田裕二から離れることがどうかという視点でしか彼女のアメリカ行きが問題にされておらず、ちゃんと大学を出るのか出ないのかという視点がない。大学4年生なのに織田裕二が就職のことをあまり考えていないのと同じ。恋愛と趣味だけで生きている大学4年生。うらやましいなあ(笑)。

FM局ではまだLPレコードをかけている。1982年が舞台ですけど、この年はCDが一般向けに発売された年でもある。ただし普及はそれから2~3年たってからだから、1982年はLP全盛時代の最後の頃だったわけです。カートリッジがshureだったり、TEACのオープンリール・レコーダーで番組をあらかじめ収録して流したり、うーん、懐かしい。

この映画が公開された1991年は日本のバブル経済崩壊の年。金とモードに踊った軽薄な時代の終焉を飾るにふさわしい映画・・・なんだろうかな。
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